わたしは幼稚園の頃から、朝起きたらいつも、どぉやったら休めるかなぁ。と考えていました。


幼稚園も行きたくない


小学校も行きたくない


中学校は行かない時期もあった


高校は途中で辞めた

(結局、定時制の高校に編入し、そちらの高校を卒業しております)


わたしは3人の娘を育てているのですが、長女が小学生、次女が幼稚園、三女がまだ未就園児の頃、この頃は本当にいろいろとつらく、ただただ逃げたい一心で、パートにでるという謎の選択をしました。


ひとときも家事と育児から離れることができないのがつらすぎて、家事と育児から逃げるための最もらしい言い訳がほしくてパートに出るという選択肢を選んだのです。


当時のわたしには、幼稚園のママさん達はみんな育児も家事も完璧にこなしているように見えていました。


家事も育児もきちんとできない自分を正当化するため、パートに出て


『仕事してるし、しょーがないよー』


という逃げ道をつくる。という手法をとり、


仕事を免罪符にしていたのです。。。


それでも自分を責めることをやめられず、ただ、ただ、身体を酷使する日々を続け、気がつけば身も心もズタズタに、、、


そしてとうとう、幼稚園のママ友から名医だよ!と聞いていたお医者さんのところへ駆け込んだのです。


そこは内科や耳鼻科の看板が掲げてあるのですが、診察内容に、慢性疲労症候群と書いてあったので、ここならなにか良い漢方などを処方してもらえるのでは?と期待して受診しました。


長い長い待ち時間ののち、やっと診察室に。


とても優しそうなお医者さん。


少し挨拶と世間話を交わし、お医者さんはわたしに母親との関係を聞いてきたのです。


???


いえ、いえ、身体がつらいんです。。。


何かお薬を、、、と思いながらも、


ひとまず、『母とは何年も会っていません。』と答えるわたし。


先生は、このわたしのひとことで、なにかを察したようでした。


たくさんの患者さんが待っているにもかかわらず、ものすごく時間をかけて、いろいろとわたしに質問をしながら話を聞いてくれました。


ときどきわたしの話に驚いたり、どうやってその状況を乗り越えたのか?と、興味をもって聞いてくださったり、とても丁寧に話を聞いてくださいました。


そして不意に先生が、


不登校の時期はなかったか?


と聞いてくださったのです。


あぁ、そぉいえば、、、


『中学生の頃、朝起きられなくて、午後から行くということが多くなった時期がありました。』


『高校もしばらくは行っていたけど、朝起きられなくて午後から行ったりしていて、結局辞めて定時制の高校に編入しました。定時制の高校は全く問題なく行けたので、普通より多く授業を受けてはやく卒業できるコースがあったので、それで2年で卒業しました』


と、答えるわたし。


あぁ、そぉいえばそんなこともあったなぁ。。。


でも、その頃いろいろあったし、家もゴタゴタしてたからなぁ。


わたしの精神力が弱かったのですよ。。。


と、わたしは心の底から信じていたのです。


すると先生は、とても驚いた様子で、


『高校を辞めて定時制の高校に行くことは誰かにすすめられたの?』と、聞いてくださいました。


わたしは、


『いえ、親には猛反対され、親戚にも、先生にも、みんなから反対されましたが、自分で決めました。』


と、、、


おぉ!!!


今考えるとわたし、なかなかやるなぁーー!!!


先生はとても驚いた様子で、あなたはとても素晴らしい決断をした!と、ものすごく褒めてくださいました。


わたしはもぉ、びっっっっっくりして、何が起こったのかよくわかりませんでした。


だって、だって、


高校を辞めたこと、定時制の高校に行ったこと


どちらも親に悪いことをした。と、ものすごく自分を責めていたし、みんなが普通にできることをできなかった自分をめちゃくちゃ恥ずかしく思い、ずっと自分を責めていたからです。


あまり言いたくなかったし、なんとなぁく学生時代の話はフワッと誤魔化して逃げていたのです。


それがなんと、このような場で学生時代のことをきかれて、そしてなぜか褒められるという!?しかもこんな名医とよばれるお医者さんに!?


何事だ!?一体なにがおこっているんだ!?


どぉやら、わたしは体内時計が他の人と同じように24時間スタイルで動きにくい体質だったようです。先生はあえてなのか?病名などを言わず、そのように説明してくださいました。


あと、わたしは、人よりもいろんなことに敏感な性質ももっているのだとも話してくださいました。(音、光、天気などなど、その他いろいろ)


あぁ、そぉだったのか。。。


もぉ先生のその説明で、過去から現在までのいろーーーーーんなことがわたしの中で一気につながったのです。


わたしは母親になってからずーーーーーっと、自分はダメな母親だ。と、責め続けていました。


子どもの頃は、自分は弱くて、だらしない、ダメな子だ。と、自分を責め続けていました。


それが、先生の説明をきいて、


わたしがダメな母親だったのではなく、


わたしがだらしないダメな子だったわけではなく、


わたしが弱いからダメだったわけではなく、


ただ、そおいう性質をもってうまれたのだと。。。


先生のこの説明を聞き、とてもホッとしたのを覚えています。


そして、子どもの頃からずーーーーーっと抱えていた傷がすーっと癒され、涙があふれました。


先生は後日、念のために行った血液検査の結果用紙をわたしに見せながら、血液検査の結果は全て正常です。と、100点と花丸を書いて渡してくださいました。


血液検査の結果は花丸だから、お薬もサプリも飲まなくていいかな。と、


続けて、


わたしはこれまでとても多くの不登校を体験した人たちと関わってきたけれど、あなたは3人の娘さんと、旦那さん、たくさんの友人に囲まれ、ベスト3に入るくらいしあわせな生活を送ってらっしゃる。と、おっしゃってくださいました。


それは気休めのための言葉だったかもしれないけれど、わたしは、先生のその言葉を信じたい。と思いました。


自分は人の3分の1くらいのことができたらオッケー!と思って生きるといい。と、


そして、まわりの人たちに助けてもらいながら生きるといいよ。


と話してくださいました。


最後に、


あなたと出会えて、お話ができてとてもよかったです。ともおっしゃってくださいました。


わたしはこの名医と呼ばれるお医者さまの言葉で大きく癒されました。


不登校


親としてはとても心が痛い体験ですが、実際に不登校を体験した立場からお話するとしたら、


ひとつの体験、経験に対して、良い、悪いと判断する自分の考え方、見方次第で、こんなにも苦しくもなれるし、楽にもなれるし、学びに変え自分の宝に変えることもできるのだと。


それは言葉で言うほど決して簡単なことではないけれど、あきらめずに向き合い続けることで、どのようにも変えていくことができるのだと。


今おつらい体験をされている方々にも、決してあきらめず、希望をもって、自分自身に優しく寄り添い続けてあげてほしいと心から願っています。


わたしの体験が少しでもお役に立てれば幸いです。


最後までお読みいただきありがとうございます♪