ブラタモリ、TV放映はもちろん、順次刊行される本も読んでます。
そして、実際にその地を訪れる機会ができたときは、録画を見直し、本でおさらいもして当地へ向かいます。
地質と歴史両面からその地の今の在り様に迫る、しかも時としてかなりマニアックに。ほぼ現地の予備知識なしに、鋭い見識を披露するタモリさんとシンクロして、その町の古の姿、現代の繁栄の理由に想いを巡らすのは、中々に楽しい。
息子が福岡に転勤したので、引越しの手伝いを兼ねて、本で予習・復習もして、2泊3日で彼の地を訪れました。
なんせ後漢から下賜された金印が出土したくらいですから、この地は紀元1世紀、弥生時代から大陸との交通の要衝だったということ。
鴻臚館跡が何とも興味深かったです。菅原道真によって遣唐使が廃止されるまで、古墳時代から平安前期までの永きに渡って大陸からの使者の迎賓館だったところ。当時は目の前が海で、海を渡ってきた賓客はここで接待された後、大宰府に向かったのでしょう。
平清盛の対宋貿易の時代を経て、鎌倉時代には蒙古襲来、元寇の激戦地になりました。市内の各地に防塁跡が残っているようです。
そして安土桃山時代、ここは豊臣秀吉の朝鮮出兵の前線基地、那古屋城が作られた場所。秀吉は土木工事、都市計画に優れた武将だったようで、タモリさんの「直線を見たら秀吉と思え」の言葉通り博多には秀吉の町割りがそのまま残っています。
一方で、関ヶ原で戦功を上げ、当地の領主となった黒田長政は、博多の街をそのままに、那珂川の対岸に新たに城下町を築きます。
小高い丘の上に築かれた福岡城、天守閣跡からは福岡の街が一望できます。
JRの博多駅は秀吉の作った旧市街、一番の繁華街、天神は長政の新市街。
その境目が中洲。文字通り、那珂川に中州を築いて、新旧市街の関所にしました。
TV放映でタモリさんが弥生時代の土器片を見つけた発掘現場も発見。こんな町のど真ん中だったとは、ビックリ。
弥生時代から現代まで、2000年を超す歴史が幾層にも積み重なった街、博多・福岡。
ブラタモリのおかげで、何倍も旅行を楽しめました。