弥生時代から始まったこのシリーズもいよいよ明治。
元号を「明治」、江戸を「東京」と改めた新政府は、版籍奉還、廃藩置県を断行。さらに通貨制度を整え地租改正を行なうなど、近代国家としての骨組みづくりを急速に進めていく。しかしその裏では、井上馨の銅山横取りや山県有朋の公金横領などの汚職が蔓延していた。
司馬遼太郎の「この国のかたち」に、倒幕の同志である長州閥のこの腐敗ぶりを指して、西郷隆盛は「(倒した)徳川に申し訳ない」と言ったとあった。
この件に限らず、幕末からの一連の出来事での長州閥の動き、吉田松陰や高杉晋作、大村益次郎といった傑物は輩出したものの、私個人としてどうも好きになれない。
政府内で、西郷隆盛・板垣退助らと、岩倉具視・大久保利通・木戸孝允らの深刻な対立が表面化する。サムライの志を貫く西郷らと、清濁併せ呑んだ大久保らの対立と思えなくもない。
この「明治六年の政変」で敗れた西郷・板垣、江藤新平は新政府を去る。教科書には征韓論を唱えた西郷らが敗れたということになっていたが、事実はそんな単純なものじゃない。後日勝海舟が語った、「西郷は征韓論者じゃなかったよ」という言葉が重い。
武士階級を軍隊、警察力等として残そうと考えた西郷らと、徴兵制を敷き国民皆兵とすれば武士階級は不要と断じた大久保らの対立。下野した江藤、西郷は、ともに故郷の不平士族たちに担ぎ上げられ蜂起する。
この辺りの事情は、司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」に詳しいのだが、結果は、圧倒的な物量の差、火器の性能差により、政府軍が反乱軍を破った。最強の職業軍人集団のはずの薩摩軍は、農民兵に敗れ、九州制覇、首都東京への進軍どころか、加藤清正の熊本城も抜けずに鹿児島に墜ちる。
江藤の斬首、西郷の自刃をもって「サムライの時代」は名実ともに終焉を迎えた。井沢さんは「西郷は本気で戦って負けた」説をとっていたが、私は未だに腑に落ちない部分もある。「西郷は、日本の将来のために、サムライを引き連れて心中したのではないか」と思えなくもないし、そう思いたい気持ちもある。
そして、二人を葬り去った“黒幕”大久保もまた、不平士族の凶刃に斃れる。もう一人の大物、桂小五郎も病死。維新後10年にして、日本は「そして誰もいなくなった」状態になってしまう。
歴史という結果を知っている自分も、思わず「どうなる、日本」と言ってしまうこの状況。
これだから歴史は面白い。