「翔ぶが如く(1~10)」(司馬遼太郎) | 「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

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廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。


司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」全10巻、読了しました。長かったー。

とぶがごとく


維新から文明開化へまっしぐらに進んだんだって思っていたのですが、実は維新直後の明治政府ってこんなに危うかったんですね。

司馬さんの小説って、坂本竜馬、大村益次郎、秋山兄弟、主人公が実に生き生きと描かれている。
 必ずしも勝者の側ばかりではなくって、「燃えよ剣」の土方歳三は世の流れを一顧だにせず自らの美学、武士道にさわやかに殉じたし、「峠」の河井継之助も侍の本文を貫き通した。 敗者も、むしろ勝者以上に、溢れるばかりの好意をもって描かれているのが司馬さんの小説の良いところが、この「翔ぶが如く」、西郷隆盛が主人公かというと決してそうではない。むしろ維新で燃え尽きた抜け殻みたいな書かれ方をしています。
といって、大久保利通が主人公かというとそうでもない。 強いて言えば薩摩士族全員が主人公というところでしょうか。 そして、その描かれ方は、少なくとも好意的と呼べるものではありませんでした。

士族と言えば元々は封建社会における武士です。 それが長い太平の中で非効率な官僚組織を形成し、危機管理能力を喪失し、また貨幣経済の浸透に伴い経済的にも困窮してしまった。
19世紀半ば、外圧に対応できなかった幕府に対する軍事クーデターが戊辰戦争でした。
しかしながら問題はここから、幕府を倒した後どういう国を作るかです。革命をなした太政官政府は、版籍奉還、廃藩置県、地租改正、一気呵成に対応策を断行していく。
革命政府は、士族から特権的地位や職を奪ってしまったわけで、クーデターに協力しながらも革命政府に入れなかった士族の、政府に対する憎悪、怨嗟の声は全国に満ちることになります。
この本には、維新から明治10年の西南戦争までの日本の歴史が、膨大な資料を傍証に、作者の想像を交えて、叙事詩的に描かれていました。

戦国時代に関ヶ原の敗軍となりながらも、家康が手を出せなかった最強兵団、薩摩藩。これが精神的進化をせずに生き残り、幕末・維新の時代の変換期に頑迷、蒙昧にも暴発し自滅した。局地戦での薩軍の強さを別にすれば、著者の薩軍評は、時代に殉じたダンディズムではなく、滑稽さを伴う悲壮、でしょうか。
西郷は、日本の未来を政敵の大久保に託し、反乱分子を抱いて死んでいきますが、その大久保もほどなく凶刃に倒れます。

ここから「坂の上の雲」の日露戦争まで、日本は、アジアで唯一植民地にならずに先進国の仲間入りを果たした奇跡と言われますが、その道のりたるや、何とも危うい、ギリギリのものだったんだなって、改めて思いました。

我々の先祖に感謝、です。