独り言。
24歳の頃の出来事を少しばかり。
当時の私は産婦人科で夜勤も月8回とか、夜勤明けは呼び出しの待機(それなりに呼び出しもあったのよ)をしたりとか、今考えると若かったからこそできた勤務をこなして、プライベートは旦那氏と東京、奈良の遠距離恋愛をして月に1回東京へ会いに行ったり、友達と飲み歩いたり旅行行ったり、人並みに楽しい若かりしき時を過ごしていました。
そんな24歳になったばかりの年末に原因不明の高熱が数日続いて、全く記憶がないけれど異常行動(救急隊員に噛みつこうとするとか、ほんま考えられないような事)をしたりして、救急搬送され、当時の県立の病院に入院。搬送されるまでは病院に行っても原因がわからず、ずっと自宅で様子見るしかなかったけれど、県立病院の私の命の恩人の先生がすぐにウイルス性脳炎と診断してくれて早急に治療してもらった。けれど、止まらない痙攣から呼吸困難になり、ICUへ移床。それでも落ち着かず、意識も戻らず鎮静剤を使って1日様子見てあかんかったら翌日気管切開するとなってたところ、気切する当日に覚醒。そこからはしばらく県立病院で診てもらった後リハビリする為に転院、3ヶ月ほどして無事退院。
私の入院中、当時の職場の師長さんは御百度参りしてくれたり、毎日誰かが顔見に来てくれたり、待ってるよと声かけてくれたり、当時の事は殆ど覚えてないけれどほんまに心救われた事は覚えてる。

無事に半年後くらいには社会復帰ができたけれど、私に残ったのは高次脳機能障害。入院していた時は、何もかも忘れてて、人の事は誰かって認識できるけど、関係性がわからなかったり。例えば甥っ子の事を名前は覚えてるし、自分にとって大切な人なのはわかってるけど、姉の子供だという事がわからなかったり。その頃はアルバムの写真見る度に、タイムカプセルを開けた時のような懐かしい、けど、すごく新鮮なような不思議な気持ちやったな。高次脳機能障害って言っても、リハビリのおかげもあって今残っているのは本当にすごくすごく軽いもの。けど、今でもやっぱり記憶の保持が難しくて、思い出は基本消えてしまう事ばかりで、出かけてもちゃんと記録に残さないとほとんど覚えていない。
だけど、人として忘れてはいけない感謝する場面の事は覚えていられるだけ、全然良いと思ってる。仕事だって、自分の病気のことを多分言わなかったら誰もわからんやろなっていうくらい看護師の仕事をその後の14年間ずっとしてきた。
誇りも持ってやって来れた。

だけど、オペ室に挑戦して、なかなか仕事を覚えられなかったり、うまく動けなかったりする自分に不甲斐ない気持ちになり、日々出来る仕事は少しずつでも増えてはいても、私はもっと出来るはずっていう自分の中にあるよくわからないプライドとか、嫌味な先生とか(笑)、自分で思っていた以上にストレスを感じていたらしく、睡眠不足が続き、この14年間ずっとずっとなかった後遺症が遂に3月末に出てしまい、救急搬送。子供達の目の前で。母親が死ぬかもしれないと思わせてしまうような怖い思いをさせてしまった。ずっと痙攣なんてなかったし、高次脳機能障害といっても、ちょっと人より物忘れ(これも仕事の内容を忘れるとか、どこかに行くのに忘れ物をするとかじゃなくて、思い出が消えるのが特徴的なのよね、私の場合)多いくらいで、もうそろそろ薬もやめてもいいかもねって、でも仕事もするし念の為内服しとこか、くらいのノリで通常量の1/4とかそんな量だけ。
寛解も目の前やった。

だけど発作が起きてしまった事で、車の運転も最低2年間はダメになり、仕事の通勤が難しくなり、次いつ発作が起きるかわからない中、絶対清潔区域のオペ室で仕事ってすごい神経使うってので、急遽休職。ほんま職場にはとことん迷惑かけてると思う。
ごめんなさいって何回も思った。いや、思ってる最中。

けど、これを機に自分の人生、正直いつ死ぬかわからんし(めっちゃしぶとく長生きするかもやけど笑)、私これでええんかって、もっと心の底から生きてるって最高と思いたいって、ちょっと考えてる。
看護師って、社会的な信用度は高いし、本気でやればそれなりに稼げるし、やりがいのある仕事やし、看護師同士お互いリスペクトできる仕事やと思うし、
だけど、やっぱりブラックな仕事やなと思う事も多いし、子供がいても土日祝働くもしくは夜勤しないと正社員なれへんところばっかりやし、自分が感染するリスクも高いし、なんやったら訴えられるリスクも高いし…やのに、給料って、全然上がっていかんのよ。他のサラリーマンって、頑張った分昇給していく事が多いと思ってるんやけど、私が働いてた場所が悪かったんか、ほんまに管理職ついた時くらい、昇給したの。やから、そんだけリスクあるのに、頑張っても頑張っても給料変わらんからモチベーション維持するのがほんま大変で。
それでいて、意外と狭い社会におるから、看護師以外で働く術を見つけられんくて(これも私だけなんかな?)
それでも経済的に安定できるからってなんとなくずっと看護師続けてきたけど、潜在的にずっとあった違う世界をみてみたい、を叶えてみようと。思い切って看護師辞めようと思った。
私のやりたい事ってなんやろうって、まだ本当に自分のやりたい事に挑戦するってところは全然できないけど、少しずつでも近づいていけたらいいな。

とにかく今こんな状態の私をとことん支えてくれてる旦那にはほんまに感謝しかない。
高校生の時の私の見る目は間違ってなかった。ほんまにずっと一緒におって、リスペクトできて楽で楽しい存在。
旦那も子供たちも自分も大切にこれから生きていけたらいいな。