今日は晴れ。
花粉が沢山飛散すると予報で聞いて外出したくない、けれど行かなくちゃ!と自分の背中を強めに押す気分。
何をするにも、よっこいしょのヒロマンマです。
今月に入り会食が数回ありまして、大皿を取り分けて食べるスタイルで少し困ったことがありました。
イタリアン料理の時、メインをそれぞれ選びましたが、提案があって皆さんでシェアしましょうとなりました。
事前に苦手な物を言ってあったので私は辛い物を余り食べられないことを伝えました。
魚が苦手と言う人や様々。
料理が順に運ばれて来て、私のリクエストしたマルゲリータピザが来た時、全部にタバスコを掛けてしまった人がいて、さて困った。
1切れ皿にもらいフォークでタバスコを拭うけれど辛くて大変。
他に頼んだパスタはペペロンチーノ、更にタバスコ掛けられて私は手をつけられなかった。
隣に座った友人が無意識になんでもタバスコを掛ける目の前の友人をじっと見ていた。
きっと普段からそうして食べているから気にならないのかな?。
レモンが添えられて来て、隣の友人は皆にレモンを掛けて良いですか?と聞いた。
そうね、苦手な人もいるから聞いてから掛けるのが良いね、私はこうした配慮は好きだな。
この日の終わりに私はタバスコを掛けて食べた彼女とは一緒に食事をするのは避けたいと思った。
他にも理由はあるけれど、子供の自慢話ばかりで他の人の話を聞こうとしない所も苦手だな~と思った。
土曜日、中華店では大皿料理を食べる時、男性たちは面倒だから人数分に取り皿に分けてしまって欲しいと言われ6人分に分けました。
ある奥さまが取り分けた時、そのご主人が皿に盛り付けるのを見て注意しました。
何故、皆さんが食べやすいように盛り付けしないのかと。
牛肉炒めをレタスで包んで食べてくださいとスタッフが説明されていた。
私は皿にレタスを敷いて牛肉を乗せた。
奥さまは皿に牛肉を乗せてその上にレタスを被せた。
奥さまは自分でレタスに好きなだけ乗せたら良いと考えたそう。
ご主人は皆さんが食べやすく手を汚さず、1枚のレタスと牛肉をバランス良く食べられるようにしたかったらしい。
その場で食べ方で少しご夫婦の意見が分かれ、皆さんが気を遣いお腹に入ったら一緒だから気にしない〜と言っていました。
食べ方と言う物はそれぞれ個性があり、時にはマナーに沿って食べなくてはいけない時もあり、楽しめないこともあります。
私の子供の頃は祖父が厳しく、箸の持ち方から細かいことまで教えてくれました。
一番記憶に強く残っているのは、小皿に醤油をつけて食べる時の醤油の量。
ヒタヒタに醤油を入れず、食べ終える時には醤油が終わるくらいの量を入れなさいと教わりました。
足りなければ少し足して終わらせるようにと。
刺し身や寿司を食べて醤油を小皿に並々入れて食べる叔父たちを怖い顔をして見ていた祖父。
食後の小皿を見て、醤油が沢山残っていて、なんて食べ方をしているんだと言いました。
祖父は子供の頃は奉公に行き色々学び、戦争で物の無い時代を過ごし、戻って来てからは農業をしながらお寺さんに野菜を届けたり小間使いをしていたそうです。
なので物でも食料でも無駄が嫌いでした。
家族だと同じような食べ方をするけれど、複数人での会食となると食べ方も様々。
気配りの出来る人、場慣れしてテキパキ動ける人、その逆もあり。
我が家でも娘たちと3人の時は大皿で料理を出してそれぞれ取り分けて食べました。
食べる工夫の勉強でもありました。皆と分けて食べる勉強。
今の家に来て、それは通用しなくなりました。
大皿で出したら好きなだけ取り分けて他の人の分など考え無かったから。
何度かチャレンジしたけれど5人分を出しても2人分を取ってしまう人がいて残りの4人分を考えられない。
それならと洗い物は増えるけれど個々に分けて1人分ずつにしたら問題は解決したようでしたが、これでは量が足りないと言うこともあって暫く難儀しました。
先日の学校給食で白米が残るから家庭からふりかけを持って来て良いとニュースでは話題になりました。
賛成派、反対派。
残らないのだから良いと言う賛成派。
給食は食の学びの場、出された給食は栄養士さんが考えて作られた献立。
それを出された中で食べきる工夫の勉強。
それを説明された反対派。
家庭で教わらなければ給食で学ぶ。
大人になって会食してもマナーを知らず困る人も多い。
私も社会人になるまで外食をほとんどせず成長したので、周りの人から学ぶことが多くありました。
本来は楽しく味わって食事をするものなのかも知れませんが、祖父の影響で食事は楽しく無くて、少食だった私には苦痛の時間でした。