先月に再放送されていた番組の感想の続きです(=゚ω゚)ノ
片岡愛之助の解明!歴史捜査③
③土方歳三 謎多き死の真相を解明
戊辰戦争最終決戦の地、函館で亡くなった土方さん。その時の謎を解明していくというものですʅ(✧ω✧)ʃ
まず、土方さんが亡くなった状況を謎解いていきます。
当時、土方さんは一本木関門にて指揮をとっていました。五稜郭と函館市街の中間地点(・∀・)函館駅から近くの場所。
土方歳三資料館所蔵「立川主税」(土方さんの護衛役だった隊士)の戦争日記より、土方さんか一本木より函館へ向けて進撃し、敵が異国橋まで退いた、と書かれているそうです。七重浜より敵が攻めてきて、挟み撃ちにされる土方軍。そしてついに、敵の弾が腰間を貫き土方さんは戦死したと記されています。
戦いの中、弁天台場で戦う新撰組の仲間達が孤立し、それを助けるために出撃した土方さん(*ノÅ`)その途中、馬上で被弾し落馬…(´・ω・`)仲間を想い戦いに散っていった姿。本当に武士であります!
さて、そこでです。
狙撃した人物とは?馬に乗っていたなら前から撃てるのか?という事。もしかしたら後ろから撃たれたのではないか?七重浜から攻めてきた新政府軍に撃たれたのでは?真相は明らかになっていないという事でした。
そして、狙撃したのではないかと言われる人物。松前藩「米田幸治」。孫にその時の事を語っていたようです。「射撃命令を出したものの、当たらないため部下の小銃を取り上げ、肩越しに馬上の兵を打った。兵は落馬し、陣羽織の襟を返してみたら土方とあった」と。
土方さんの鉢金(額を保護するもの)にも「土方義豊」と書かれているように、陣羽織に名前が書かれているのもおかしくないですよね。
次に…
亡くなった時土方さんの首がなかった?!
しるし(首級)は旧幕府軍が運び去ったので、無かった。
と、米田氏は言う。一本木関門の様子を描いた図にも、仲間の遺体から首を持ち去り五稜郭に持ち帰ろうとする絵がかかれている。
最後に。
東京日野の高不動尊金剛寺にある石碑殉節 両雄之碑には、函館で土方さんが語っとされる言葉が刻まれているそうです。
「私が近藤勇と死を共にしなかったのは慶喜公の無実の罪を証明するためだった。こうなった以上潔く戦死するだけである。生きながらえて、どうして地下の近藤に会わせる顔があろうか」
ああ、もう本当に土方さん…男前であります(T ^ T)近藤さんと土方さんの心の絆!真っ直ぐに生きた男前たち。新撰組、これからも追いかけていきたいと思います!