私はよく「ないものねだり」をする。

 

物質だけでなく

経験とか

自分の資質とか

そういうものに関しても。

 


あれが手に入らなかった

 

あれを諦めた…

 

私はあの人みたいにキチンとできない

 

あれを手にしていたなら

人生違っていたよな〜

 

みたいな。

 

 

 

特に病気をした(と思っている)ことによって

症状が悪化した(と思っている)ことによって

諦めたものは多々ある。

 

 

その時私は

「病気」の実在性を強化していることになるんだけど

その話はちょっと置いといて。

 

 

 

そうやって

「私は持っていない」

という信念を強化する。

 

 

強化して

それをさらに他者や出来事などに投影して

それを見つけて(知覚して)

「ほら、やっぱり私は持っていない」

と言う。

 

 

 

(あれが欲しい〜プンプン

 

 


でも、この世界の中に「有る」と私が思っているものは

すべて、もともと「無」なのだから

「ないものねだり」というのは

本当には「無い」ものを「有る」と思って

欲しがったいたのだと

それは何の意味もないのだと、思った。

 


ここには、私(自我)も存在しない。

 

存在しない自我の私が「もともと無い」ものを望んでいた。

 

 

まあ

自分がここに存在していないなんて

普段は、これっぽっちも思ってやしないんだろうけどね。

 

 

けれども

「無い」ものは「無い」んだから

願っても意味はないんだって思うと

何だか楽ちんじゃないかい?

 

 

じゃあ、それを「有る」と思っているのは

何故なんだろうね。

 

 

私は「持っていない」と思っているのは

何故なんだろうね。

 

 

 

「私はここにいる」と思っているのと

おんなじ理由だな。

 

 

この世界が実在すると思いたい。

この世界で幸せになれると信じたい。

 

 

ここにしか

居場所がないと信じているから。

 

 

 

さてさて

それは本当か?

 

 

 

 

🍀Hiroe🍀