いつからだっけ、理由がないと何もできなくなったのは。
制作、日常のこと、行動全てetc...
僕は理由がないと何もできなくなった。
生きるとことに飽きたとき僕は必死に生き続ける理由を考える。何かのために、何かあるから、何かが無いから。
何かの行動1つとっても僕は理由を探して、自分を納得させてから動き始める。衝動なんてものは動機として成立していない。だから衝動とかそういうもので動くことに憧れる。だからそういうもので動ける人に嫉妬する。いや、むしろ衝動というものですら僕の中では理由の、または言い訳の1つかもしれない。先に述べた衝動とはそうじゃなくもっと抽象的なものかもしれない。
理由は何にでもある。そう思う。
理由というと少し意味が狭くなる気がする。僕が言いたいことは理由という言葉とは少し違うのかもしれない。
説明と言えばいいのだろうか。それが曖昧な事を僕は衝動とさしたみたいだ。そしてそれが明確な事が理由となるのかもしれない。
明確な説明
いろんな本を読む。そこでは人々が順序立てて明確に、そして論理的に、数えきれないフレーズと単語とをうまく組み合わせて何かを説明したりそれぞれの考えを表している。
どんな言葉も後付けだ。
後付け。よく耳にするし自分だってよく使う。何かをもっともらしく説明しているがそれは何かを納得させるため。はたまた己を納得させるために最初は考えてなかったかもしれない、今手ってそんな事心の底から思っていないのかもしれない、もしかしたら思い込ませて自分を騙してるのかもしれない。そんな事を後付けと呼んでいる。すぐに見破られるもの、上手く人を騙すもの様々だ。
人間は考える事を他の動物よりも多く行う。それが人間と動物との差であり、それが人を人たらしめている。そして人はより動物的に、それを本能的にともいうけれど、行う事を衝動的と考えるのだと思う。そしてより人間的に思考に頼り複雑になったものを理性的と呼ぶ。
人間だから、動物と区別しているから、人間は理性的なものに安心する。そしてそれらにまみれて生きているが故に本能的なものに感心する。
だからだろうか、論理的に組み立てられた言葉たちが知性的に処理され根本にある本能的なものを覆い隠して成り立っている事すべてが後付けに見える。
後付けに頼り切って生きている人間は多いけれどそれに気づく人は少ない。別にそういう事を考えてる自分やそれに気づく人を特別だとは思っていないしそうじゃ無い人が不幸だとも思っていない。むしろ不幸なのは前者の方だと思う。
僕は生きる理由をなくしている。これはあくまでも死にたいとかそういう意味じゃなく、縋るものがなくなってしまっただけだ。ここは地獄だ蜘蛛の糸が切られ這い上がる事ができなくなったの生きながら生きるという苦しみに焼かれる地獄だ。蜘蛛の糸はいつだって降りて来るのかもしれない。でも少なくともそれが来ない間人は地獄の中で焼かれる。ずっと。
嫌なブログを書いたけど。書かなきゃいけないと思ったので書きました。これは外付けハードディスク。僕の頭のストレージはもういっぱいですね。
制作、日常のこと、行動全てetc...
僕は理由がないと何もできなくなった。
生きるとことに飽きたとき僕は必死に生き続ける理由を考える。何かのために、何かあるから、何かが無いから。
何かの行動1つとっても僕は理由を探して、自分を納得させてから動き始める。衝動なんてものは動機として成立していない。だから衝動とかそういうもので動くことに憧れる。だからそういうもので動ける人に嫉妬する。いや、むしろ衝動というものですら僕の中では理由の、または言い訳の1つかもしれない。先に述べた衝動とはそうじゃなくもっと抽象的なものかもしれない。
理由は何にでもある。そう思う。
理由というと少し意味が狭くなる気がする。僕が言いたいことは理由という言葉とは少し違うのかもしれない。
説明と言えばいいのだろうか。それが曖昧な事を僕は衝動とさしたみたいだ。そしてそれが明確な事が理由となるのかもしれない。
明確な説明
いろんな本を読む。そこでは人々が順序立てて明確に、そして論理的に、数えきれないフレーズと単語とをうまく組み合わせて何かを説明したりそれぞれの考えを表している。
どんな言葉も後付けだ。
後付け。よく耳にするし自分だってよく使う。何かをもっともらしく説明しているがそれは何かを納得させるため。はたまた己を納得させるために最初は考えてなかったかもしれない、今手ってそんな事心の底から思っていないのかもしれない、もしかしたら思い込ませて自分を騙してるのかもしれない。そんな事を後付けと呼んでいる。すぐに見破られるもの、上手く人を騙すもの様々だ。
人間は考える事を他の動物よりも多く行う。それが人間と動物との差であり、それが人を人たらしめている。そして人はより動物的に、それを本能的にともいうけれど、行う事を衝動的と考えるのだと思う。そしてより人間的に思考に頼り複雑になったものを理性的と呼ぶ。
人間だから、動物と区別しているから、人間は理性的なものに安心する。そしてそれらにまみれて生きているが故に本能的なものに感心する。
だからだろうか、論理的に組み立てられた言葉たちが知性的に処理され根本にある本能的なものを覆い隠して成り立っている事すべてが後付けに見える。
後付けに頼り切って生きている人間は多いけれどそれに気づく人は少ない。別にそういう事を考えてる自分やそれに気づく人を特別だとは思っていないしそうじゃ無い人が不幸だとも思っていない。むしろ不幸なのは前者の方だと思う。
僕は生きる理由をなくしている。これはあくまでも死にたいとかそういう意味じゃなく、縋るものがなくなってしまっただけだ。ここは地獄だ蜘蛛の糸が切られ這い上がる事ができなくなったの生きながら生きるという苦しみに焼かれる地獄だ。蜘蛛の糸はいつだって降りて来るのかもしれない。でも少なくともそれが来ない間人は地獄の中で焼かれる。ずっと。
嫌なブログを書いたけど。書かなきゃいけないと思ったので書きました。これは外付けハードディスク。僕の頭のストレージはもういっぱいですね。
