私が、【知覧特攻平和会館】に行ったのは、もう30年近く前です。

現在はどうなっているのか分かりませんが…その時の思い出を。


入ると、何百枚の特攻隊犠牲者の方々の写真が貼られていました。確か、お名前と享年が書かれていたと思います。【こんなにも若いのに…】と、苦しい思いになりました。


様々な、展示物も有りました。

主には、ご家族に宛てた遺書でしたが、胸が締め付けられる思いでした。


特攻機も、本物かレプリカかは分かりませんが、展示されていました。


寮母さんの様な方のお話が、流れていました。

(録音された物だと思います。)

特攻前夜に、特攻隊の方の背中を流していた時。

特攻隊の方は、肩を震わせて泣かれていたとの事でした。覚悟を決めたとは言え、悲しく、恐ろしいに決まっています。もう、二度と家族に会えない。どんなに辛い事でしょうか。


記念館の隣に、レプリカでしょうが、三角屋根の小屋の様な物が有りました。

特攻前夜は、特攻隊の方は、そこで一夜を過ごされていたとの事でした。

どんな思いだったのでしょうか。


強く私の印象に残っているのは、大きく貼られていた、2枚の写真。


1枚は、特攻隊の方お二人が、煙草を吸いながら談笑している様な写真でした。ですがその写真は、出撃直前に撮られた写真でした。何事もないような写真に見えました。もう、諦めの境地だったのでしょうか。敢えて、平静を装っていたのでしょうか。

私には、知る余地も有りません。


もう1枚は、青年では無く、少年です。

1人の少年が、子犬を抱っこしていました。その少年の周りに、7〜8名の少年が集い、皆様、優しい笑顔を浮かべられていました。恐らく、特攻訓練中だったのだろうと思います。あの、無垢で柔和な笑顔。今でも、目に焼き付いています。


特攻機は、敵母艦まで辿り着くのは、稀です。

その前に、敵母艦から撃ち落とされてしまうからです。何とか敵母艦に辿り着く事が出来ても、爆破してしまいますので、命を散らせてしまいます。

そして、特攻機には、片道分の燃料しか入れて貰えない。

『死』への、片道切符。


あまり知られていませんが、【人間魚雷】もそうです。脱出装置は有りません。

脱出装置が有れば、潜ってしまう前に脱出してしまう。それを阻止する為ではないか、と推測しています。


特攻攻撃で、約4,000人の方々が、命を散らせていったのです。


特攻隊員の方々以外にも、沖縄戦、原爆、東京大空襲等…数え切れない方々が、犠牲になられているんです。


今の日本は、その尊い方々の、犠牲の上に成り立っている。その事は、どうか、忘れないでいて欲しい。語り部の方々が居なくなってしまわれても、戦争の悲惨さ、平和の有りがたさを、どうかどうか、忘れないでいて欲しいです。