フォーカスチェンジプロコーチ、松本ひろゆきです。


 六本木ヒルズなど港区の都市グランドデザインや中国上海の

都市計画にも携わってこられた、森ビルの森稔会長が亡くなった。


 僕にとって、森ビルと密接にかかわりがあったのは、2001年

の10月から2002年の9月、森ビルがまだ本社を赤坂アークヒルズ

におき、社会人向けのビジネススクール、『アーク都市塾』を

開講していた時のことだ。

(現在は、形態を変えて、六本木ヒルズで、様々なセミナーを

提供している)


 2001年夏、僕はインターネットで森ビルが『アーク都市塾』

なるビジネスマン向けのビジネススクールを開講していることを

知った。


 さすがデベロッパー。

 不動産関連の講座から幅広く適応できるビジネスマン向けの

講座まで様々なコースが用意されていた。


 都市計画に興味のあった僕は、都市塾で用意されていた、

『奨学制度』に申し込むことにした。

 しかし、問題があった。


 申し込むことが出来るのは、大学3年生以上。


「なんだ。専門学校に行っている僕にはだめじゃん」


と思わなかった。


 申し込むフォームに、


「僕は残念ながら大学生ではありません。しかし、この都市塾

に入って、学びたいことがあります。専門学校生でも入学を

認めてもらえるでしょうか」


といった趣旨のコメントを書いたような記憶がある。



 そして、森ビルから提案されたのは、


「都市計画コースは定員調整をしなければならないのです。

ただ、松本君に薦めたいコースがあります」


 そこで、提案されたのが、株式会社ホープス代表取締役で

ある、野村るり子さんの


「ビジネスプレゼンテーションコース」


だった。


 野村さんには今でも、時々連絡をさせていただくこともあるが、

そこで得た知識を実践する場を提供してくれたのが、引き続き

在籍した『ビジネスイノベーションコース』の米倉誠一郎先生

であり、森稔社長(当時)だった。



 第28期アーク都市塾。

 フレッシュネスバーガーの栗原幹雄社長をゲストに迎えた、

都市塾全コース生が参加をする必修講義において、約240名

のオーディエンスを前に僕は栗原社長とフレッシュネスバーガー

を紹介するプレゼンターの大役を務めることになった。


 同じグループメンバーから、リハーサルで徹底的にダメだしを

されていたので、なんとピンマイクが故障するというアクシデント

もあったが、パニックに陥ることなく、なんとかプレゼンを終了

することが出来た。



 何の経験も実績もない僕にそのような機会をくれた、森稔社長

に愛宕(あたご)グリーンヒルズで行なわれた卒塾式の際に

感謝の気持ちを伝えると、



「若い人たちに機会を作ってあげるのが

僕たちの役目だよ。

経験がないから駄目だなんて言ってたら、

誰も経験出来なくなるからね」



という趣旨の言葉をかけてくれたのを今でも覚えている。



 今僕は、森さんの訃報に触れ、あの時のことを思い出している。


 実績も何もない僕に素晴らしいプレゼンテーションの機会を

与えてくれた『アーク都市塾』という舞台(ステージ)。


 岡山に『都市塾みたいなビジネスの集積地を創る』


 所属企業の垣根を越えて、様々な交流の場を提供すること。


 教育、学びとは本来、死ぬまで繰り返されるものであると

僕は信じている。


 森さんが提唱し続けたアークヒルズ、六本木ヒルズへと至る

変遷の中で、『アカデミーヒルズ』という学びを軸にした知と情報

の発信基地のような存在は、もっと日本各地にあって良い。


 僕は、森さんの訃報に触れ、そんなことを感じている。



 森ビル森稔さんの、死を悼み、ここに今僕が感じたことを追悼

のメッセージとして記す。


 この広い世界の中であなたと出逢えた奇跡に感謝します。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 どうかやすらかに。

 合掌。


 2012年3月13日

 松本 博之