みなさん、ようこそ博薫堂へ。
笑顔とうなずき、癒しの声であなたの心を素直に、
ブラッシュアップトラベルスマイルメッセンジャー&
セラピストのHiroyuki “Scott” Matsumotoです。
今回は、読むだけでも5分はかかる分量ですが、
どうかお読みください。
◎ ◎
僕は来年の森林セラピストⓇ試験合格を目指す。
先日、厚生労働省は今までの4大疾病に精神疾患
を加えた5大疾病として、国民の健康対策を進めて
いくことを発表した。
我が家では父以外、すべてこの精神疾患を経験
している。
もちろん、自分自身にまったくの非がない訳では
ない。
しかし、である。
15人に一人の割合で精神疾患を抱える人たちが
いると言われるのに、周りの配慮や気遣いがあまり
にも「??」となることが多い。
今年、東北地方を中心に発生した東日本大震災。
多くの方の尊い命が波にのまれ、未だに遺体すら
みつからずに行方不明となっている方もいる。
それでも東北の人たちは、復興に向けて、立ち
上がろうとしている。
しかし、その反面、生きることに希望を失い、自ら
命を絶つという事実も片方では存在する。
そして、今後そういった選択をしてしまうかも
しれない方が多くいるのもこれまた事実なのだ。
そんな時に私たちが出来ることは、何だろう?
僕に出来ることと、今、このブログをご覧いただいて
いる方それぞれに出来ることは決して同じではない。
ただ、これだけは言える。
「自ら命を絶つことはあってはならぬ」
と。
毎年3万人以上の方が自ら命を絶っているこの
国の現状。
厚生労働省が5大疾病として、対策をするというが
今更・・・といった感じも否めない。
確かに、何もしないよりはいいが。
そもそもどうして、精神疾患を抱える人が増えたのか?
誰もなりたくてなっている訳じゃない。
これから書くことはあくまでも、僕の主観であることを
先に断わっておく。
親は子供に教育を受けさせる義務がある。
それが、小学校6年間と中学校3年間の9年に渡る
義務教育期間である。
今では高校の3年間も事実上の義務教育のように
なっているが、義務教育期間は上記の9年である。
これから僕が書くことは、大学進学率をウリに
している進学校や学習塾、予備校などの存在を
否定するものではないが、結果的にはそうなって
しまう。
僕が考える本来の教育基本方針とは、
「学びたい当事者が学びたい時に学べる環境を
整備してあること」
時折、メディアに取り上げられるが、北欧は
スウェーデンのやり方が正にこれだ。
今の日本の子どもたちの基本的人生設計なる
ものがあるとすれば、
中学卒業→高校進学→大学受験→モラトリアム
→就職
というようなことにでもなろうか。
この道から外れた者は下手をするとまともな
職につくことが出来ず、非正規雇用で結婚も
出来ずに生涯を送ることになる。
そして現在の大学生は、自ら「まともな仕事が
出来ないなら、留年してまた就職活動して、まともな
仕事をしよう」
という現実がある。
大学生の10人に4人が就職できない(しない?)
時代なのだ。
しかし、名も知られていない地方の企業が世界的
な特許技術を持っていて、人は欲しいけど、知名度
がなくて、後継者不足に困っている・・・というのも
これまた事実なのだ。
今の学生たちは親や周りの大人たちが使っていた、
「大学卒業したら、公務員とかまともな仕事に就いて
くれたら、それで良い」という常套文句が無意識的に
刷り込まれているのだと思う。
強調して、まともだなんていったのは、
そんなものは大人たちが作り上げた虚像にすぎない
ということなのだ。
それは大人からの
「ブランド力、知名度がある=まとも」
という方程式から見た世界であって、学生が
「自分を活かせることができる仕事=まとも」
だと思っていたなら、ここでロジック破綻が
起こる。
そして、社会的にまともだと思っていた会社が、
山一證券しかり、JALしかり、まともではなくなった
ことを考えれば、何を拠り所にするかは明白だ。
先程例に出した「知名度のない、人が集まらない
地方の企業」こそ、世界的な視点に立てば、まとも
なはずなのだ。
であるからこそ、その企業の技術や製品・サービス
が受け入れられるのだ。
それを「知名度がない=まともな会社じゃない」
などと判断すること自体が、まともじゃない。
どうして、こうなるのか?
それは、日本が未だに教育、あるいは学校に
「金太郎飴製造工場」を稼働させているからだ。
画一的に一定レベルの教養を持たせることも
確かに重要ではあると思う。
しかし、それでは純粋な好奇心によって、
探究・探求していこうとする、童心の芽を摘むこと
になる。
「みんなと一緒じゃなきゃいけない」
ことを強要するのはもうサヨナラがいいと思う。
だって、そもそも
「みんな違っていて当たり前」
なのだから。
他の子と違った態度を示すといじめの対象に
されるなんて、おかしいでしょ?
他の子と異なる考え方をしたからって、叱り
飛ばすなんて、ありえないでしょ?
中学校の時に僕は不登校になり、高校も通信制
高校を選択した。
レポート作成が卒業要件でもあり、その結果、
文章構成力がすこぶる高まり、僕はその時出来うる
最高の選択をしたと今でも、感じている。
親の立場からすれば、教育を受けさせる義務
があるので、「学校に行きなさい」という言葉に
繋がることも充分に理解できる。
しかし、である。
もし、このブログを読んでくださっているあなたに
不登校になっているお子さんがいらっしゃるので
あれば、とくにわかっていただきたいことがある。
それは・・・
学校に行くのは、子供にとって義務でも何でもない
ということである。
そして、もっと重要なのは
学校に行くことで、自らの心をすり減らし、苦しくなる
だから、学校には行きたくないんだ!
そんな態度を示してくれたあなたのお子さんは、
とても純粋で素晴らしい存在なんだと。
傷付くほど純粋な心をお持ちのあなたのお子さん
を抱きしめて、
「無理しなくていいんだよ」
とただ、その一言だけ伝えてあげてください。
そして、自分らしくあることを学校ではなく、
家庭を選んでくれたお子さんをしっかりと
褒めてあげてください。
僕が中学の時に名ばかりの
「個性重視教育」
なるものが盛んに叫ばれていた。
その一方で、子どもを数字で評価する。
この元凶はどこにあるのか?
それは、大学受験の仕組みそのものでは
ないかと思う。
個性を重視するなら、より面接や小論文と
いった選抜方式を採用すべきだし、極論
すると大学に入学して、卒業するという発想
から抜け出ないと、
「僕はこういう人間です」
「私はこういう者でございます」
という組織を離れたところにある、自分軸が
育たない。
確かに日本人が帰属意識を重要視する
ことは理解しているが、だからと言って偽りの
仮面を被って、自分ではない何者かになろうと
するなら、それには「NO」を言った方がいいの
ではないか。
大切なのは、
それぞれが持っている本質である。
オプションとしては加味されるかもしれないが、
どこの大学だ、どこの会社だなんていうのは
あくまでも付加価値にすぎない。
「高校を卒業した者は、原則大学に進学
しなければならない」
という法律はない。
むしろ、30代、40代、50代となっても
「僕はどうしても○○の勉強がしたい」
と自らの好奇心によって、大学で学びを深める
方が、本来の大学の存在理由を理解すること
にもなるし、何よりも自らの魂と同調する。
「おとなりの○○さんがそうするから、
私もそうする」
という考え方が駄目だとは言わないが、
そこには本当は主体的な
「私」
など存在しない。
「いろいろ考えてこうすることにしたわ。
そしたら隣の○○ちゃんと同じところだった
みたい」
となって、
「私」
は主体的に初めて存在する。
今の日本の教育現場に求められているのは、
反抗するとかではなくて、
「先生はそうおっしゃいますが、
僕はこう思います」
とハッキリと異なる意見でも表現できる、
自己理解と異なる意見があって当然という
前提の基の人財育成ではないだろうか?
もちろん学校だけではなく、家庭もその
ステージであることは言うまでもない。
じゃないと、
「子どもを教育するのは、学校」
だという誤った認識が増長されるからだ。
そして、僕は森林という緑溢れる場所に
生活のベースを移し、傷付いた純粋な子ども
たちの再生に取り組んでいくために森林
セラピストをライフワークとする。
もはや、国には任せてはおけぬ。
ちなみに誤解を恐れず言うと、
「傷付いた子どもたち」
とは、現在、学生であるとか・・・そういうレベル
の話ではない。
そう、60歳になっても、80歳になっても、
癒しが起きていなければ、誰の中にも
「傷付いた子ども」
がいるのである。
「傷付いた翼も手当てをして癒えれば、
また大空を舞うことが出来る」
国の行く末を憂い、この国を出ていくことも
選択肢に入れている人ももしかしたら、いる
と思う。
ただ、僕はこの日本という国が好きだ。
だからこそ、僕はこの天から与えられたこの
命を僕にしかできない形で与え、エネルギーを
注いでいくことを選ぶ。
笑顔とうなずき、癒しの声であなたの心を素直に
する、
ブラッシュアップトラベルスマイルメッセンジャー
&セラピスト
博薫堂
by Hiroyuki “Scott” Matsumoto

