「さおちゃん待ってよ」


 先に横断歩道を渡ってしまった彼女は、 ちょっとふくれっ面

で僕が横断歩道を遅れて渡るのを待ってくれていた。


 僕はそんな彼女のぷくっと膨れた両のほっぺを、掌で挟み

込んだ。


「さおちゃん、昔と変わらずムスッとした顔、可愛いね」

「もう・・・ともくん! 私は……」


 何か云いかけた彼女の手を半ば強引に引っ張って、僕は

八坂さんの門の手前にある階段の下まで足早に歩いた。


「さおちゃん。ごめんね」

「えっ……」

「今、何か云いかけたでしょ?」

「うん。でも良いよ。大したことじゃないから」

「本当に大したことじゃない?」

「うん」


 彼女が「私は……」の後に続けていたであろう言葉。

 それは、いくら僕が類推しても仕方がない。


 彼女が大したことがないと云っているのだから、それを

信じてあげよう。


「さおちゃん」


 僕はそう云って、彼女に向かって微笑んだ。


「じゃあ、行こうか!」

「うん」


 彼女は、僕の腕に腕を絡めてきた。


 ドキン!


 僕の胸の高鳴りが、彼女に伝わってしまったのではないか

と思うくらい衝撃だった。


 学生時代の彼女からは伝わってこなかった、大人の色香

がした。


 彼女、こんな香水してたっけ?


 ここだけの話、僕はあまり香りの強い香水や化粧の厚い

女性は得意ではない。


 母の話によると、母が僕を身籠っていた時に、化粧をする

とお腹を蹴って、「化粧するな!」とメッセージを送っていた

らしい。


 胎児の時代から僕は、すっぴんないしナチュラルメイクの

女性が好きらしい。


 実はこの話は、学生時代、彼女には伝えていたのだが、

今日の彼女の香水はそんな僕でも「ドキン」とさせるものを

着けてきたのかもしれない。


 いや、それよりも彼女が腕を絡めてきた時の、衣服越しに

伝わる「気持ち」と触れ合う感覚それ自体に驚いたのかも

しれない。


 僕と彼女は、八坂さんの門をふたりでくぐった。


「ともくん?」

「ん?」

「ともくんだけだよ。私のムスッとした顔、可愛いって云う人」

「そうなんだ。でも、本当に可愛いと思うからそう云ってるん

だけどな」

「変なの」

「それ、さっき南座の前でも云われた」

「だって、変だもん」

「嬉しいなぁ。さおちゃんに変って言われて!」

「やっぱり変!」


と云いながら、彼女の顔は笑っている。


「さおちゃん、大学時代に云わなかったっけ?」

「何を?」


 興味津々って感じだ。


「いやぁ……『人から違うとか変わってるって云われるのが、

僕の存在理由だから』って……覚えてない?」

「う~ん……あっ! みんなでプロ野球観に行こうって時に、

ともくんだけ、ノートに出場予想って書いて、審判の割当作って

たんだ」

「そう!」


 そうこうしているうちに、お手水(てみず、ちょうず)処に着いて、

自然とふたりの組んでいた腕が離れた。


 ちなみに、お手水は柄杓ひとすくいで、

「1.左手 2.右手 3.左掌で水を受けて口をすすぎ 4.再度、左手

5.残った水を柄杓を自分の側に起こしながら、柄を伝わらせて

流す」


 これが、作法である。


 水が汚れていたり流れていない場合は、3.のところは、やった

ふりで良い。


 たまに、工程毎に水をすくってしまう方を見かけるが、ここは

きちんと「すべての工程をひとすくい」でお願いしたい。


 ちなみに僕は、神社庁のまわし者ではない。


 さて、お手水が終わって、二人並んで本殿に向かった。


 もうすぐ、太陽が沈み、冬の八坂さんは一段と冷え込んでいく。


 しかし、今日の僕は、心いっぱいでポカポカだった。


 さおちゃんと来る初めての八坂さん、そしてこの後の……


 彼女のために予約した、あのお店。


 僕は、あのお店を知っていることに感謝したい。


(つづく)


※この物語はフィクションです。


 博薫堂