「あえて決められたレールから脱線する」
前回の最後に「学校との関わり方を変えていくこと」と述べたが、
小学校~中学校~高等学校~大学(院)、専門学校~就職という
型にはまった、というよりすべての人間を同一のレール上を歩ませ
ようとさせているようにしか見えないのだ。私には。
一度就職してから、大学へ通うということも今以上にあっても
良いだろうし(夜間部を廃止する大学が増えているのは、由々しき
問題だ)、退職して世界中を放浪して、そこで体験したことを次の
就職に活かすなんてことも出来るはずだ。
(これには、企業の人事に携わるひとの「多様性を認める」姿勢が
重要になってくるが。)
「~しなければいけない」ではなく、「~したら面白いんじゃない?」
とか「今までは○○していたけど、今回は××してみよう」って、
考えると幅も広がるし、そのことで見えていなかった物が見えてくる
可能性だってある。
さて、本題へ。
今回に限ったことではなく、いじめ事件がいつも表に出てくるのは
「被害者の自殺」によってである。
自殺をすることで辛いことから解放されると思って、自らの命を
絶ってしまうのだろう。
ただ、そのことは真の解決にはならない。
では、いじめる相手を暴力を仕返せば良いのか?
ナイフで持って切りつければ良いのか?
それも解決にならない。
では、どうすれば良いのか?
答えはひとつ。
「学校に行かないことだ」
「学校は行かなければならない場所」
という思い込みをこの際、思い切ってやめてしまっては
どうか。
事実、私も中学の時、不登校であった。
「死のうと思うことがなかったか?」と問われれば、
「あった」
しかし、それを行動に繋げる勇気がなかった。
ただ、今になって思うことは…
「死ぬことに『勇気』なんか使うな」
ということである。
人間はいずれ否が応でも、天に召される存在である。
なぜにいじめられたからといって、自ら死を急ぐのか。
ハッキリと言うが、いじめなんてする奴は
「群がらないと何も出来ない弱い奴」
だと思ったらどうか。
そうしたら「アハハハ。俺(私)は、あんな奴らのために
死のうと思っていたのか。アホらしい」って感じない?
「学校は行かなければならない場所ではない」
と心から自分と学校の関わり方を変えてしまうことで、
いじめっ子たちの存在も「自殺して呪いたい人たち」から
「どうでもいいアホらしい存在」になる。
不登校は決して逃げなんかではない。
「学校」という場所が、自分を殺してしまう場所なら、
行かなくて良い。
自分にとって、必要な場所で「生きて解放感」を得ること
の方が、自殺で人生から解放されるより、深い意味が
あると思う。
生きていれば必ず良いことは巡ってくる。
いじめられて、自らの人生に幕を下ろすことだけは
やめてほしい。
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