埼玉県を舞台にしたことにより、全国47都道府県を制覇したことになった連続テレビ小説。

舞台となった川越市は専門の部署を設け、川越を走る東武鉄道と西武鉄道は

専用のラッピング電車を走らせたり、沿線にポスターを貼りまくったりし

大いに盛り上がっています。

東武鉄道はレールがつながっていない伊勢崎線・日光線系統の駅にもポスターを貼っているので、

栃木県の佐野市駅にも「つばさ」のポスターが貼られていました。

東京地下鉄や東京都交通局が何のリアクションも起さなかった「瞳」とは大違いです。

これでヒットすればよかったのでしょうが、最近の「つばさ」は低空飛行を続けています。

今の平均視聴率は15.0%で、あの駄作「瞳」よりも低くなっています。

それを象徴するかのように、2009年4月28日付の朝日新聞に

川越市在住の53歳の主婦の方からの投書が「声」欄に掲載されていました。

一言でいえば、期待はずれだった、というのが、この方の意見です。

この方の意見にはうなずけるところとうなずけないところがありますが、

私はこの方がこう言いたくなる気持ちがよくわかります。

この方の意見は次の通りです。


(1) 主人公つばさが真瀬から「イモ」呼ばわりされる場面が不愉快

  川越は昔から「九里よりうまい十三里」とサツマイモの産地として知られているが、

  それを「イモ姉ちゃん」呼ばわりの馬鹿にされるようなセリフに使われるのは

  憤りを感じる。

(2) 川越のシンボルである「時の鐘」の扱いが軽い

  「時の鐘」のゴーンという音を会話の切れ目にコメディーっぽく使われるため、

  シンボルが台無しである。

(3) 川越が下品な街であるかのように描かれている。

  川越には「ヤクザ」や「サンバガール」が常にいるかのごとく描かれているが、

  そんなことはない。

  上品で情緒のある城下町である。

(4) つばさの母親を時々「おかん」と言っている(原文のまま)のが

  川越の方言と思われそうだが、生粋の川越人として初めて聞く言葉だ。


(3)については異論がありますが、他は埼玉県で育った身としては

「うんうん」とうなずきたくなる意見です。

要するに、舞台となっている川越の扱いが軽すぎるんですね。

川越に対する敬意がまったく感じられず、

安直にギャグの道具として「どうだ、面白いだろう!」と思いあがった考えで作られているから、

こういうおかしな箇所が出てくるわけです。

もっとも (3) については、城下町だからこそヤクザが跋扈するわけだし、

サンバのダンサーが現実世界でいると思う人がいるとは思えませんけど。


さて、この投書を読んだ母は「その通りだ、つまらない」と言い、

さらにおかしな点として次の事柄を挙げていました。


(5) 加乃子が家出した時に田んぼの真ん中を通っていたが、

  甘玉堂は川越の中心に位置するのに、

  田んぼの真ん中を通って駅まで行くはずがない。

(6) 第5週で正月の川越で雷雨が降っていたが、

  正月の川越で雷雨が降るはずがない。

(7) 第5週で、正月なのに井上和香の小料理屋が開いていたが、

  川越で正月に普通の小料理屋が店を開けることはまずあり得ない。

(8) 挿入されるギャグがわざとらしくてつまらない。


(6)は「瞳」でも見られたトホホな箇所です。真冬の関東平野で雷雨が降るはずがないんですね。

真冬と言えば西高東低の気圧配置で関東平野はピーカンの天気が普通です。

西高東低の気圧配置が崩れた時に雪や雨が降ることはありますが、

雷は鳴りません。

雷が鳴るには積乱雲が発生するのが必須ですが、

冬の関東地方では積乱雲は発生しないのです。

冬の日本海側なら積乱雲が発生するので雷が鳴りますが、

生まれてからずっと関東平野で育ってきた私は冬に雷が鳴っている場面に

遭遇したことがありません。

本当に「瞳」や「つばさ」のスタッフは季節の考証がいい加減です。

昨今の漫画原作のいい加減なドラマばかり見て、それに満足している人は

おかしさを感じないのでしょうが、

世の「大人」はこんなドラマに満足できるはずがありません。


ドラマの舞台にするのですから、それなりの敬意を払ってもらいたいものです。

久世光彦のドラマ「寺内貫太郎一家」は谷中が舞台でしたが、

劇中で谷中を茶化したことはなかったはずです。

連続テレビ小説「つばさ」は久世光彦のドラマを意識した作りと言いながら、

実は上っ面を真似ただけの軽薄な内容でしかないことが

苦戦の原因ではないでしょうか。