28年くらい続いた「コサキンDEワァオ!」が3月28日で終了することになりました。ネットでの反応と言えば「最近聞いていなかったけど、終了するので最後まで聞きたい。」というのが多かったです。これでは終了に追い込まれるのも仕方がないかなあと思いました。赤字ローカル線が廃止されるときと同様、終了を知って一時的にリスナーが増えるという現象が見られるようです。この人達がずっと聞いていてくれればよかったのになあと思います。もっとも、個人的にはコサキン終了の真の原因は不況と TBS の業績悪化にあるような気がしているのですが。なお、3月22日にイベントが開かれることが告知されました。ただ3月20日と3月21日はそれぞれ別の趣味の予定が入っているので、申し込むかどうか、悩んでいます。
さてコサキンではスタッフも強力でした。放送作家の鶴間さん、有川君、館川、楠野、そしてディレクターの門脇さんや杉浦さん。私が聞いていない時代は浦口直樹アナウンサーもディレクターを務めていたそうです。鶴間政行さんは番組開始当初から参加している人で、放送作家なのに番組中にも登場します。緑の服ばかり着ているのでケロヨンと呼ばれたり、マラソンランナーの宗兄弟に顔が似ているので「俺たちひょうきん族」にも登場しました。番組中では小堺が読む葉書を聞いて(自分が葉書を選んだくせに)ゲラゲラ笑っていますが、小堺と関根が暴走すると「○○」と囁いて軌道修正したりする役割も担っています。本来は小堺が突っ込み役で、関根が暴走し過ぎて収拾がつかなくなるとピストルを撃つ真似で「バン!」と言って我に返らせるのですが、時々小堺は関根と一緒に暴走(武田久美子が全裸にホタテの貝殻をつけただけの格好の写真集を見て大興奮するなど)するので、彼が舵取りを担っているのです。
他の3名の作家はリスナー上がりです。その中で一番人気があったのが有川君こと有川周一です。この人は栃木県の小山で浪人だった頃に偶然コサキンを聞き、二人と出会いました。彼は「カックラキン大放送」に出ていた時の関根の芸をあまり好きではなかったそうですが、あまりの放送のくだらなさに耳から離れなくなり、リスナーになったらしいです。自分の名前「有川周一」のルビとしてポルノ映画の女優の名前を書くなどの卑怯なネタで頭角を現し、リスナーの神様と呼ばれるようになりました。浅井企画からスカウトされて放送作家になり、今度はスタッフとしてコサキンの制作に参加するようになりました。
有川君は放送ではコサキンの話を聞いて笑ったりツッコミを入れたりしていますが、その最大の役割はいじられ役です。私がリスナーをやめていた高二の頃、物理のレポートを書いていて夜更かししてしまい、久しぶりに聞くかと思って偶然聞いた時、関根が歌う「神田川」の替え歌「有川」が流れていましたが、この歌は傑作です。「♪ぼくの~なまえは~ありかわしゅういち~」という歌いだしで有川のだらしない私生活を赤裸々に暴露していました。
また笑い上戸なのですぐに関根にくすぐられ、ゲラゲラ笑い、それを館川が嬉しそうに眺めていました。その勢いだけで「笑い袋言うネタで欽ちゃんの仮装大賞に出よう」というプロジェクトが始動し、有川が仮装大賞に参加したことがありました。その時作られたネタは、有川が袋の中に入れられ、頭を出した状態でくすぐられて笑うと言う「笑い袋」という二人芸のネタと全身白タイツを着た有川(御飯を表現)がコンビニエンスストアで売られているおにぎりができあがる様子を再現すると言う「おにぎり」という一人芸のネタの二つです。見ればわかるとおり「笑い袋」は予選落ちしましたが、「おにぎり」は予選を通過し、本選でも合格しました。当然、欽ちゃんとも絡みましたが、有川が小堺と関根の名前を出すと、なぜか欽ちゃんは話をやめてしまいました。
他にも有川君に関する話は私がリスナーだった頃に限ってもいろいろあるのですが、有川君がらみの最大のイベントと言えば「GoGo遊園地ツアー」でしょう。これは有川君を遊園地の絶叫マシンに載せ、その怖がる様子を楽しむと言う企画です。この企画は偶然生まれました。ある時、小堺が司会をしていた番組「いただきます」が九州を縦断して放送することになりました。「いただきます」もコサキンも生放送だったため、関根も鹿児島へ行って放送することになりました。そして放送当日。関根は東京に残っていた有川君と一緒に飛行機に乗って移動しましたが、当日の鹿児島の天候が悪く、飛行機は羽田へ引き返してしまいました。急きょコサキンは鹿児島と東京の二元中継で放送を行なうことになり、機内で関根が告知するテープがつくられたのですが、この時に飛行機が揺れ、恐怖に襲われた有川君が「あー」と絶叫。それを聞いた関根が有川君に「うるさいよ!」と言っているところまで放送で流れました。実は有川は怖がりだったのです。これがきっかけで有川君を遊園地のジェットコースターに乗せようと言う話が持ち上がり、この企画が始まったというわけです。最初はただ絶叫するのを聞くだけでしたが、有川君が絶叫する声をサンプリングしてラップの曲にしたCD(作詞は館川)が出たり、ツアーの模様を収録した DVD が出たり、有川君の絶叫を着うたにして TBS のサイトからダウンロードできるようにしたりするなど、色々な派生企画が生まれました。絶叫自体も「声出ないよー」というシュールな叫びから「みぎー」「ひだりー」などの普通の言葉など様々です。「タモリ倶楽部」にも有川君が登場したことがあります。実は羽田引き返し事件の時にはもう一つ別の出来事も起きたのですが、それについては別の機会に書きます。
有川君について書いたら長くなってしまいました。館川と楠野もリスナーあがりの放送作家です。館川は有川よりも売れっ子で、楠野は若ハゲが特徴です。ディレクターの門脇さんは自慢のちょび髭が特徴ですが、弘兼憲史にも似ています。長くなってしまいましたので、今回はここまでにして、次は思い出を少しずつ語っていこうと思います。