
シネマリスでの1本目はこれ!「私は何度も私になる」
神保町に誕生したミニシアター〝シネマリス〟のオープニング上映作品の中のひとつ「私は何度も私になる」を観ました。
事前情報はほとんど入れずに観ました。この作品を選んだきっかけは、監督のタン・チュイムイが、僕の大好きな『タレンタイム~優しい歌』のヤスミン・アハマド監督らと2000年代のマレーシア映画界を牽引した女性監督だったからです。
そんなわけでヤスミン・アフマド監督の作品のように繊細で優しい内容を想像して観始めたのですが、これが見事に裏切られました。もちろん、良い意味でです。
タン・チュイムイは、脚本と主演も兼ねています。
人気女優のムーン・リー(タン・チュイムイ)は出産と離婚を経て引退していましたが、かつての仲間の映画監督ロジャー・ウーからアジア版『ボーン・アイデンティティー』のようなアクション映画を制作するので主演を務めてほしいと依頼されます。
ムーンは幼い息子のユージョウ連れて、ロケ地にやってきます。アクション・シーンを演じるために、武道家のロー師範のもとで過酷な武術訓練に取り組みます。最初は撮影開始までにモノになるとは思えなかったムーンの動きも、ロー師範のスパルタ指導と武術に対する哲学的な教えが徐々に浸透し、動きにキレが出てきます。
そんなある日、映画の出資者から、ムーンの元夫で人気俳優のジュリアードを相手役として起用したい、という半ば強制的な要請が届きます。ムーンは「ジュリアードと共演するくらいなら主演を降りる」と激しく拒絶し、武術の訓練半ばにしてロケ地を離れることにします。
息子のユージョウと一緒に空港まで向かう途中、突然現れた男に息子をさらわれてしまいます。男はユージョウを車に押し込み、あっという間に走り去ってしまいます。
あまりにも突然の出来事に途方に暮れるムーン。しかしユージョウがGPS付きの腕時計をしていたことを思い出し、その信号をたどって誘拐犯を探し始めます。果たしてムーンはユージョウを見つけ出し、救出できるのでしょうか・・・!?
ここまで聞くと、サスペンス映画か!?と思うでしょう。僕も最初は映画女優の復帰についての物語だと思って観ていたら、中盤で思いも寄らぬ展開になり、びっくりしました。
ところがところが!なのです。この映画のすごいところはここから先。さらに予想を裏切る衝撃の展開が待ち受けています。
これはぜひ劇場で観て確かめてください。
これ以上書くとネタバレになってしまうので、詳しくは説明できませんが、まさに「映画的」な作品です。
シネマリスがこの作品をオープニングに選んだ理由がわかった気がします。
日本では6月にポレポレ東中野で先行公開されたのみで、このシネマリスでの上映が国内2館目のようです。
前半のムーンの武術の訓練シーンは、ブルース・リー作品へのオマージュを感じました。彼女が武道家へと目覚めていく過程が見どころのひとつです。
しかしこんなに面白い作品が、なぜ広く公開されていないのか?ぜひシネマリスでの映画体験を兼ねて観てください!
神保町に新たなミニシアター“シネマリス“が誕生。
12月19日、神保町にミニシアター“シネマリス”がオープンしました。
僕は2年ほど前にXで、このシアターの建設が進んでいることを知り、以来ずっと進捗状況を追っかけていました。
実はひょんなことからシアターの支配人さんから今年の夏に、バリアフリー設計について意見を聞かせてほしい、と連絡をいただき、建設中のシアターに入れていただきました。
その頃はまだシアターに座席はセットされておらず、ガランとした空間でしたが、支配人さんから完成後のイメージを丁寧に説明していただき、すごくワクワクしたことを覚えています。
その劇場がついに完成したのです!
オープンは平日の金曜日でしたが、居ても立っても居られず、昼休みに早速見に行きました。
劇場は地下にあり、エントランスへは素敵な螺旋階段を下りて行きます。
僕は車椅子なのでこの階段を下りることはできませんが、エレベーターがあるので、これを利用してエントランスに行けます。
ただしこのエレベーターは、このビル内にあるマンションの居住者用なので、外部の人が勝手に使えません。車椅子で行く際は、劇場に電話をかけ、スタッフにエレベーターのあるフロアに入るドアの鍵を開けてもらいます。
ひと手間かかりますが、それでも劇場内は完全バリアフリーなので、僕のような映画大好き車椅子ユーザーには大変ありがたいです。
さて、劇場はというと、これが本当に素敵な空間になりました。
ロビーは広く、真ん中にカフェが楽しめるテーブルがあります。現在上映中のレスリー・チャン特集にちなんで、各作品に登場するレスリー・チャンの超精密フィギュアが展示されています。
広い多目的トイレもあります。
スクリーンは2つあります。
スクリーン1は赤が基調で、主に新作が上映されます。67席と少ない席数にも関わらず、スクリーンは大きく、最前列に座ってもとても観やすい作りになっています。椅子も身体を包み込むような感じで、映画に没頭できます。
スクリーン2はサブスクリプション対応劇場です。月額あるいは年額でサブスクリプション料金を支払うと、この劇場で上映される映画は見放題になります。
この劇場は青が貴重の作りです。
どちらのドアにも、かわいいリスのマスコットが付いています。
ちなみにこの青と赤は、デヴィッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス」と「ブルーベルベット」へのオマージュだそうです。
支配人さんにお祝いの挨拶をし、劇場内を見せていただきました。
午後から仕事があったので、30分ほどでいったん劇場を出て会社に戻りました。
仕事が終わった後、再び訪れ、オープニング作品の「私は何度も私になる」を観ました。新しい映画館にふさわしい、新鮮な驚きと感動に溢れた傑作でした。詳しいレビューはまた後日。
オープン初日の映画館で映画を観る喜びは、人生でそう何度も味わえるものではありません。
2022年に岩波ホールが閉館し、深い喪失感を味わいましたが、この日は映画への新たな希望に満ちた1日でした。
みなさんもぜひ、シネマリスにお越しください!!
教授のいない世界は、やはり寂しい「Ryuichi Sakamoto:Diaries」
坂本龍一さん(以下〝教授〟)が癌を宣告されてから死に至るまでに綴っていた日記を題材にしたドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」を観ました。
2023年3月28日の早朝、教授は天に召されました。ニュースで第一報を知った時、頭が真っ白になったことを覚えています。
僕が教授を知ったのはイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がデビューした1978年ごろ。当時僕は中学生で、ちょうど音楽に興味を持ち始めた時期でした。その時に聞いたYMOのサウンドはまさにカルチャーショックでした。僕の音楽の指向には、間違いなくYMOのサウンドがあります。
教授のソロアルバムも当時から聞いていて、「千のナイフ」や「B2-UNIT」は中学生の耳にはとても斬新に響いていました。
映画は教授の家族や関係者が撮影していた記録映像を中心に、教授の日記の文章を重ねながら時系列に構成されています。
末期癌を宣告され、最初は絶望した言葉が並ぶ日記。
しかしやがて、音楽を作り続けることこそが自分の使命であることを悟ったかのように、生きるための言葉が増えていきます。
音楽家として素晴らしい人であったのはもちろんですが、社会に対しても強い関心を持ち、メッセージを送り続けてきた人でした。
闘病中に始まったロシアによるウクライナへの侵攻の際には、ウクライナのヴァイオリニストとインターネットでつなぎ、反戦を訴える音楽を世界に向けて配信しました。
原発に対しても批判的な言葉を残しています。
東日本大震災の被災地を応援するために、東北の子供達で構成した東北ユースオーケストラの指導にも、死の間際まで関わり続けました。
優れた音楽家であり、人間的にも尊敬すべき人でした。
教授が残していってくれた音楽、言葉の尊さ。
一方で、もう教授から新しい音楽も言葉も聞けないことの寂しさ。
あらためて教授がいない世界を認識し、喪失感を覚えました。
映画のエンドクレジットでは、癌を宣告されてから亡くなるまでの間に教授が撮影した満月の写真が映し出されます。
教授の死後、すぐに出版された本のタイトルは「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でした。
映画を観終わって劇場の外に出ると、空に満月が浮かんでいました。正確には前日が満月だったのですが、この夜の月もほとんど真ん丸の美しい月でした。教授が満月に馳せていた思いは何だったんだろう?と、この日の月は今までになく味わい深く、そして教授のいない世界の寂しさを感じさせるものでした。
優しさに溢れる「TOKYOタクシー」
94歳の山田洋次監督の新作「TOKYOタクシー」を観ました。
2022年にフランスで大ヒットした「パリタクシー」の設定を日本に移してリメイクした作品。オリジナル版は未見です。
高齢者施設に入所することを決めた老女(倍賞千恵子)を、体調を崩した仲間の代わりに送り届けることになった個人タクシーのドライバー(木村拓哉)。東京から施設のある葉山までの2人のドライブの1日を描いたロードムービーです。
正直言って観始めてすぐに、展開は読めていました。ある意味ベタな物語です。それなのに泣かされました。
山田洋次監督も倍賞千恵子さんも、〝寅さん〟好きの僕にとっては、尊敬し愛すべき監督と女優さんです。寅さん以外の作品も含め、長年タッグを組んできた熟練の2人だからこそ表現できる優しさがスクリーンのあちこちに溢れています。
この2人に加えてタクシードライバー役の木村拓哉さんと、若い時代の主人公を演じた蒼井優さんが、これまた素晴らしいのです。
キムタクってこんなに良い俳優だったっけ!?と言うくらいの演技を見せてくれます。タクシーの中でのシーンが大半のため、木村さんの出番はほぼ運転中の姿です。いつものように身体のアクションで見せる場面はありません。しかし老女の話を聞きながら変化していくタクシードライバーの心情を、表情や仕草で巧みに表現しています。
蒼井優さんも堂々たる演技を見せてくれます。彼女がたどってきた人生は、女性の人権がまだないがしろにされていた時代の話で、壮絶な体験が語られます。そんな時代の中で、凛として生きてきた女性の姿を力強く演じ、とても印象に残ります。
2人がたどる東京の風景も素敵です。スタート地点が葛飾柴又の帝釈天というのが、なんとも泣かせます。上野、東京駅、銀座、渋谷と都内の主要な観光地が次々と出てきます。これも普段ならありきたりな人気スポットのはずなのですが、この映画で描かれるこれらの場所は、何だか懐かしくて、優しくて、東京ってこんなに素敵な街だったっけ?と驚かされます。
これも山田監督のなせる技なのでしょう。
号泣はしませんが、観ているうちに何だか心がほっこりしてきて、知らぬまに涙が頬を伝っている。そんな優しさに満ちた作品です。
中野監督にまた泣かされてしまった!「兄を持ち運べるサイズに」
中野量太監督の5年ぶりの新作「兄を持ち運べるサイズに」を観ました。
中野監督の作品は劇場デビュー作の「チチを撮りに」がとても素晴らしくて感動し、以来新作が公開されるたびに観ています。
一貫して家族の物語を描いてきた中の監督。今作も家族についてのちょっと風変わりで、だけれども心にグッとくる物語で、またしても泣かされてしまいました。
ずっと疎遠だったグータラでいい加減な兄(オダギリ・ジョー)が亡くなったとの知らせを受け、妹で作家の理子(柴崎コウ)は、気が進まないながらも唯一の肉親ということで、兄の暮らしていた宮城県へと遺体を引き取りに行きます。
兄には離婚歴があり、息子の良一と二人で暮らしていました。彼の死の知らせを受け、別れた妻の加奈子(満島ひかり)と彼女と暮らしている娘の満里奈もやってきます。
兄の火葬後、加奈子たちと一緒に兄の暮らしていたアパートの片付けをしていると、理子の知らなかった兄の姿が少しづつ見えてきます。兄は理子が思っていたようないい加減な人物だったのか?そして残された息子の良一はどうなるのか?
湿っぽくなりそうな話ですが、中野監督の軽妙な脚本と演出で、笑いを誘うシーンもたくさんあります。
でも根底には家族間の信頼や愛情がしっかりとあり、そこを繊細かつ巧みに演出する中野監督の手腕に、ついつい泣かされてしまいます。
登場人物たちもみな的役です。特にオダギリジョーさんはこういう役を演じさせると本当にうまいです。子役を演じた青山姫乃さんと味元耀大さんも好演で、今後の活躍が楽しみです。
全体の構成も巧みです。オープニングシーンで「おや?」と思わせます。その後、物語は本筋に入っていきますが、ラストシーンで冒頭シーンの意味が明らかになり「うまいな〜」と感心させられます。
家族だから許せないこと。家族だから許せること。家族だから話せること。家族だから話せないこと。そんな複雑で面倒くさくて、だけどやっぱり最後には会いたくなる家族の心情を鮮やかに描いた物語です。
4Kリマスターにふさわしい圧倒的映像体験!「落下の王国」
4Kデジタルリマスターで17年ぶりに再公開された「落下の王国」を観ました。
これは得難い映像体験でした!4Kリマスターにふさわしい作品です。
日本初公開は2008年でしたが、その時は見逃していました。
初めて観たのは5年前にテレビで放送されたとき。同じ頃、当時東京都現代美術館で開催されていた石岡瑛子さんの大回顧展を観ていて、そこに「落下の王国」で使用された衣装が展示されていました。石岡さんは「落下の王国」で衣装デザインを手掛けています。その衣装の美しさと斬新なデザインに、ファッションに疎い僕でも圧倒され、魅了されました。
この映画の魅力は石岡さんの衣装、そして世界遺産を含む世界24ヵ国でロケーションを行い撮影された信じられないような映像に尽きます。
この作品の監督ターセムは、石岡さんに衣装デザインを依頼する際に「風景と衣装が美術の役割を果たす映画だ」と説明したそうです。
まさにその通りの映画になっています。
上のポスタービジュアルにもありますが、登場人物たちの衣装が本当に素晴らしく、衣装が主役と言っても過言ではありません。
そして何と言っても次々と登場する世界各地の風景が圧巻です。本当にこんな場所があるのか!?と信じられない思いでスクリーンに釘付けになります。今ならCGを使えばどんな異世界も作り出すことができますが、この映画ではCGもセットも使用していません。すべて世界に実在する場所で撮影されています。ターセム監督はこのロケ地を17年かけて選び出し、4年をかけて撮影したそうです!これを聞いただけでもクラクラします。
なぜそこまで衣装と風景にこだわるかと言うと、この物語が作り話だからです。映画の撮影中にスタントに失敗し、足を怪我した男・ロイと、同じ病院に腕を骨折して入院している5歳の女の子・アレクサンドリアが主人公です。彼女はオレンジを取ろうと木に登っているときに落ちて怪我をしました。二人とも「落下」で怪我をしています。
タイトルに「落下(The Fall)」とあるように、映画の中にはいくつもの「落下」のイメージが挿入されています。
男は二度と映画の世界に戻れないと思い、人生に絶望し、命を絶ちたいと思いますが、足を怪我しているためベッドの上から動けません。そこでアレクサンドリアに自分が作った物語を語って聴かせ、彼女に病院の薬室から自殺用にモルフィネを持って来させようと画策します。
ロイが語るの、横暴な暴君に運命を狂わされた6人の男たちの復讐の旅の物語です。アレクサンドリアはあっという間にその物語の世界に引き込まれていきます。
しかし物語を語っているうちに、二人の間には不思議な絆が芽生え始めます。果たして物語の行き着く先はどこなのか・・・!?
幻想的な物語と、その世界観を的確に表現する想像力の上を行く風景。いつまでも見ていたくなる映像ばかりです。
圧倒的なビジュアルが高い評価を集める作品ですが、実は映画作りに関わる名もなき人々への賛歌でもあります。
それはエンディングを見ればわかると思います。
映画愛に溢れた美しい物語でもあります。
もの作りへの愛と覚悟を教えてくれる「風のマジム」
今年は沖縄を舞台にした良作に恵まれた1年でした。「かなさんどー」に始まり「STEP OUT にーにーのニライカナイ」「木の上の軍隊」「宝島」。
今日紹介する「風のマジム」もそんな1本です。
原田マハさんの同名小説の映画化で、実話がベースになっています。
伊藤沙莉さん演じるまじむ(沖縄の言葉で「真心」という意味)は、那覇の通信会社で契約社員として働いています。ある日社内でベンチャーコンテストがあり、まじむは沖縄名産のサトウキビを使ったラム酒作りを提案します。困難に直面しながらいくつものハードルをクリアし、まじむの企画は最終審査まで残ります。
しかし本当に大変なのはここから。サトウキビを生産する南大東島の人々は、ラム酒作りに否定的です。またラム酒を作る醸造家も、最初は東京在住の有名な醸造家が候補に上がりますが、沖縄産にこだわるまじむはあまり乗り気ではありません。そんな時、沖縄在住の醸造家の存在を知ります。丁寧な酒作りで知られるその人物は、酒作りへのこだわりが人一倍強く、まじむの企画に首を縦に振ってはくれません。
果たしてまじむは沖縄産のラム酒を作り上げ、コンクールで優勝を勝ち取れるのか・・・?
伊藤沙莉さん始め、主要な出演者のほとんどは沖縄県外の役者さんですが、みなさんうちなーぐちで達者に演じています。まじむの上司役の尚玄さんは沖縄出身で、沖縄を舞台にした映画には欠かせない役者さんですが、今回もうちなんちゅーの風格を漂わせ、物語を引き締めてくれています。
まじむの実家が島豆腐の工場兼販売所で、高畑淳子さん演じるおばあが切り盛りしています。
物語の中心はまじむが契約社員の立場から社内ベンチャーコンテストを通じて、アイデアとガッツで自分の夢を切り開いていく、ビジネス・サクセス・ストーリーです。でもその根底には、故郷へのこだわりと愛があります。
まじむが困難にぶつかり、挫けそうになると、まじむのおばあがもの作りの本質について、さらりと、しかし確信を持って語り、それにまじむは勇気づけられます。この2人の関係性がとても素敵です。
物語自体は一見ご都合主義に思えるかもしれませんが、これが実話だというから驚きです。
伊藤沙莉さんのキャラクターが物語にぴったり合っていて、見ていてとても気持ちが良いのです。
エンディングで流れる森山直太朗さんの「あの世でね」という歌も、とっても良い曲です。
映画を見終わった後は、間違いなくこの南大東島産のラム酒が飲みたくなるはずです。実は僕は映画を見終わった後、その日のうちにネット通販で注文してしまいました(笑)。
今年の洋画No.1かも!「ワン・バトル・アフター・アナザー」
映画はコンスタントに観ているのですが、なかなかレビューを書いている時間が取れません。
公開終了している作品もありますが、お薦めしたい作品を追っかけでアップしていきます。
まずはポール・トーマス・アンダーソン監督とレオナルド・ディカプリオがタッグを組んだ「ワン・バトル・アフター・アナザー」。
これはマジで面白いです!実は2回観てしまいました。
娘を連れされた父親が、彼女を連れ戻すために奔走する、という極めてシンプルな物語にも関わらず、上映時間は3時間近くあります。
それなのにまったく飽きません。これはやはりポール・トーマス・アンダーソン監督の演出のセンスと脚本の面白さ、そしてキャスティングがバッチリ決まった出演者たちの演技のうまさにつきます。
ディカプリオ演じる元革命家・ボブ。彼の革命家時代の相棒で妻は、娘を産んだ後に失踪。ボブは娘のウィラと平穏な生活を過ごしていました。そんなある日、革命家時代にある因縁のあった偏執狂の軍人ロック・ジョーが、ウィラをさらっていきます。
なぜロック・ジョーはウィラをさらったのか?こうしてボブは再び「戦闘、また戦闘(One Battle After Anotehr)」の日々に巻き込まれていきます。
すっかり貫禄のついたディカプリオの奮闘ぶりはもちろん良いのですが、特筆すべきは変態軍人ロック・ジョーを演じたショーン・ペンです。こんな奴につきまとわれた本当にやだなあ、という嫌な人物を演じています。
この他にもボブの娘役のチェイス・インフィニティの可憐な強さ、ボブの妻役のタヤナ・テイラーの強靭なカリスマ性、そしてウィラが通う空手道場のセンセイ、ベニチオ・デル・トロの飄々とした可笑しさと、登場人物全員が適材適所で、物語に厚みを与えています。
会話の面白さも見どころ(聴きどころ)です。特にボブが昔の革命仲間から情報を聞き出すときに、パスワードを要求されるのですが、あまりに昔のことでボブはパスワードを思い出せません。しかしその情報がないと娘の居所を探せないので、自分はかつての革命の英雄だから特別に教えろ!と電話の相手に迫ります。しかし相手は杓子定規にパスワードを言わないと教えられないと断固拒否し続けます。このやり取りがいかにもありそうで何ともおかしく、ディカプリオの切れっぷりに爆笑でした。
いちばんの見どころは、クライマックスのカーチェイスです!よくぞこんな場所を見つけてきた、というロケーション。そしてその地形を活かしたカメラワークと構図、編集の妙技により、今まで見たことのない、臨場感たっぷりのカーアクションを見せてくれます。
これはぜひIMAXで観たかったのですが、残念ながらIMAX上映の期間を過ぎていて、残念ながら通常スクリーンで観ました。それでもこのシーンには本当に興奮しました。
アクションシーンと会話劇の面白さは文句なしですが、その背景にはアメリカが抱える移民問題や、今も根強く残る白人至上主義も描かれています。それは現在のトランプ政権下で再びクローズアップされてきています。ポール・トーマス・アンダーソン監督は、そんな現状への批判を込めていたのではないかと思います。
今年観た洋画の中では、現時点でナンバーワンです。おそらく来年の様々な映画賞でも取り上げられる作品になると思います。
つげ義春の世界観が心地よい「旅と日々」
第78回ロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞した三宅唱監督の「旅と日々」を観ました。
原作はつげ義春さんの短編漫画「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」。
つげさんの漫画は大好きで、僕の書棚には30年ほど前に購入した「つげ義春全集」全巻が並んでおり、時折取り出してはパラパラと読んでいます。
つげさんの作品はほとんどが短編作品です。初期の貸本漫画家時代の作品には、漫画の起承転結のルールに則った娯楽作品が見られますが、1960年代後半からは、シュールだったり、抒情的な作品が多くなってきます。特に何か大きな事件が起きる物語でもないのに、なぜか心に残り、何度も読み返したくなる作品がたくさんあります。
中でも僕の好きなのは「旅」を題材にした作品。今回映画化された2本の原作は、まさに旅に関するお話です。
映画は2つのパートに分かれています。
前半は「海辺の叙景」をベースにしたもの。河合優実さん演じる女性と高田万作さん演じる男性の、ある夏の日の出会いを描いています。特にドラマチックな展開があるわけではありませんが、河合さんの気だるく、人生を達観しているかのような感じが実にいいです。特に2人が海を泳ぐシーンは本当に素晴らしいです。つげ義春さんの描く世界観が見事に映像化されています。
そしてこの海辺でのエピソードは、シム・ウンギョンさんが演じる韓国人の脚本家・李が書いたものを映画化したものです。映画の完成後、李は自分の脚本家としての才能に自信をなくし、旅に出ます。たどり着いたのはある雪国の鄙びた宿。ここからが「ほんやら洞のべんさん」をベースにした物語になります。
堤真一さん演じる宿の主人は、久しぶりにやってた宿泊客に少し戸惑い、ぶっきらぼうながらも李を泊めてあげます。
李が旅の途中で言う「日常とは周囲のモノや感情に名前を与え馴れ合うことだ」「言葉から遠いところでそのままずっと佇んでいたい」「しかしいつも必ず言葉につかまってしまう」というセリフが印象に残りました。
感動した時に、その感情をすぐに言語化できてしまうことは、本当に心を揺さぶられているのではないのかもしれません。すぐに言葉に置き換えられるということは、すでに何か別の形で体験したことの反復なのではないでしょうか。
人は本当に心の底から感情を揺さぶられたときは、おそらくすぐには言葉に出来ないのではないかと思います。
李は言葉にとらわれない、新鮮で純粋な感動を求めて旅に出ます。それは何も衝撃的な出来事を求めているわけではありません。自分がまだ知り得ない日常。まだ見たことのない生活。
雪国の山奥の宿には、そんな体験があふれていて、李は創作への意欲を再び取り戻していきます。
よく「旅は非日常の体験を求めるためのもの」という言い方をします。それは確かにそうだと思います。僕自身もそんなことを求めて旅に出ます。
でも旅で体験する非日常は、そこに暮らす人にとっては何の変哲もない日常であるはずです。そのギャップを描くことが、旅を題材にした映画の面白さだと思います。
この「旅と日々」は、そんな旅の非日常性を、決して大袈裟ではなく、むしろ繊細に丁寧に描いています。そしてそれがつげ義春さんの描く世界観とマッチして、とても心地よい作品でした。
三宅唱監督が「ケイコ 目を澄ませて」「夜明けのすべて」に続き、またしても新たな視点で人の生き方を見せてくれました。





































