「感謝」についての考察
5日間老人ホームに行ってきたわけですが、端的にまとめると高齢者の方々の『共生』はまさに神の領域に思えました
我々資本主義国家の国民として、島国日本人の一員として、若いうちはどうしても『執着心』や『欲望』から醜い争いへと発展し、他人を蹴落として利益を得ることに視点を置いてしまうものです
私は渋谷ニヒリズムに影響を受けすぎて、人生に意味はないと確信していますが、それは上のような場合の目的が虚しすぎるからです
権力、財力、地位、名誉・・・
こんな人間クサイものを求め、目的定立活動する我々人間に生きる意味があるはずがない
でもそれはすぐ死に向かうわけではない。知りたい人は埼玉大学時期学長候補の渋谷先生の本読んで
話を戻すと、高齢者の方々は、偶然の偶然の偶然の・・・・・・・・・・偶然に生まれ、授かった尊い命を大切にすることに一番の価値を置いていました。
そしてそれが自分より他人を気遣う気持ちで溢れている・・
人間は自己中でないと生きれないと思います。でも例外があるなら、寿命が迫ってきた人なんだと思います。(あとマザーテレサさんとか)実習に行って確信しました。
「みんなで頑張ってこのひと時を生きる」まさに『共生』の空間がそこにありました。
老人ホームという機関の役割は、自分が思っている何倍も大きなものだった。まずそこに私が一年後期~二年前期で研究テーマとなった「共同体」がありました
「共同体」があると人は「よく生きる」ことができます。ソクラテスの「魂をよくする」と同じことだと思います。
簡単に言うと人は一人で生きることは不可能です。他人がいるから自分が存在できるのだと思います。「そんなことない」と思うかもしれませんが、ありえません。今ある周りのもので、自分が開発したものなんてないはずです。過去の人間が作ったものです。今の生活があるのは、過去の「他人」のおかげではないでしょうか。
そして共同体の最もよい点は「アノミー(無規制)状態」の撤廃が可能なことです
「生きる」ためにはそれなりの「生きる」ための活力が必要です。その活力がなくなり目的を見失うと人は生きることが困難になります。そこで自殺してしまうことを、社会学者のデュルケムは『アノミー的自殺』と名付けました。
ここでアノミーを放棄する要因としてデュルケムは『家族』『恋人』『友人』などを上げて説明しています
老人ホームの中ではこれが存在していました。互いの係わり合いがあるがゆえに生きる活力でいっぱいだったのですね。
はっきりいって・・残念ながらいつ亡くなってもいいくらい弱っているんです、体は・・・
(ちなみに更年期障害について知りたい人は→http://
でも心は強いんですね。元気いっぱいで、いやな人間のニオイのない世界でした。
そして本題ですが「感謝」と言うものを私は今まで真の意味でしたことがないのだ、と気づかされました。
まず、高齢者は今まで生きてこれたことを、何か漠然としているものへ感謝するようになるようです。唯物論が一番真実に近いことはいうまでもないのですが、どうも非科学的な部分を信じるようになるようです。もちろん個人差はあります・・
その感謝の気持ちは他者愛へ変わります。そして優しさへと転換するのではないでしょうか。
つまり真の優しさの根源は元々「感謝」なのではないか、 そして日常感謝、感謝というがそれは表面的なもので、なにか内心に大きな変化があるかと言うと疑わしいような気がする
と思ったわけです、ここまで長々と書きましたが言いたかったのはそれだけです。
個人間のつながりの空間の中で、そして寿命が近づくつれて「感謝」の気持ちが発生し「優しさ」の気持ちを生む
自分はどうも人間が好きではない、というより自分が嫌い、というか・・
義理も人情もない世界で生きるの必要性が見当たらないというか・・
ただ・・もし長く生きれて高齢になったらもしかしたら自分にも人間のイヤなところより、よいところが目立つ人間になれるかもしれない
ただ、長く生きることに執着してはならぬ。自然に生きて、高齢まで生きれたら、ラッキーみたいなね、それでなきゃ「感謝」の気持ちは生まれないので・・
今自分が思う「感謝」はまだ未熟なものなのでしょう。 ひとのかたちに感謝でなく、こころのかたちに感謝できてないからです。
現実、今、自分のなかで、自分を磨くことがこの方向に導かれてないので不安でいっぱいです
ですが、それでもこの価値なき人生で目的を探せば・・・という希望を持ってまた生きていこう、と思いました。めでたしめでたし
転換期を迎える日本社会
われわれ日本人の祖先は、長い間、「イエ(家)」や「ムラ(村)」に代表される伝統的な共同体の構成員として自己を位置づけ、所属する集団の利益を尊び、個々人の自我を集団の意志の中に埋没させることを美徳とする倫理観の中で生活してきた。共同体の中で行為や物を送りあい、人間同士が互いに関わりあう中で生きてきた。維新以来の欧米化、近代化の過程においては、個人主義が輸入され、こうした集団中心の価値観が押され気味になったが、それは人々の間からの自然発生的なものではなく、基本的には外国から学んだものの応用による、上からの改革色が強いものであった。個人よりも村落や国家などの共同体を中心に考える伝統的な価値観を根本から変革させるまでには至らず、先の大戦時まで基調として引き継がれてきたといえる。戦後、基本的人権を尊重し、個人の尊厳を謳い上げた日本国憲法が施行された以後においても、こうしたイエやムラを優先させる考え方は、農村社会を中心に根強く生き残っており、都会においてもその対象となる中心的存在を地域や国家から会社や学校に移行させただけで存続し続けており、それがいわゆる「会社人間」に代表されるような組織への忠誠を第一義とする人間集団を作り出してきた。そして会社人間を原動力として高度成長を経て、日本は経済的に豊かになったのである。
それが今、崩れかけ、未来には完全に崩壊しようとしている。そしてそのことが様々な問題を引き起こし今日に至る。私はこの共同体の崩壊こそが今の日本社会を語る上で不可欠だ、と考えてみた。よって日本の共同体について時間をさかのぼり、日本の共同体がどのように形成され、どのような影響を与えているのか考察していこうと思う。
この共同体、発生原因は言うまでもなく自然発生的であった。マルクスのごとく食糧確保の歴史、ともあるが食糧確保の目的に集まった集団が初期の共同体である。これは日本に限らず人類の共通する進化の歴史である。そして時代が流れると共に、食料は保存され、階級闘争を経て共同体の規模は大きくなり、律令国家成立まで地域の共同体は形成・発展を続けた。律令国家の発展により、一定の集落に中央から国司が派遣され、伝統的共同体は国家の管理の下に置かれるようになっていく。国司が土着の郡司の行政を圧迫し、「上から下」への秩序形成を確かのものにしていった。しかし、ここで日本は土地開発の面で大きな変化を体験する。「上から下」のシステムとは別に新たな開発が成された。力を持ち始めた貴族や寺社が、律令制度から落ちこぼれた浮浪農民を雇い、公地公民原則を掟破りする新開発を始めたのである。そしてその土地をベースに、新しく農村が形成されていくことになる。これは国家がシステムとして農村を構成したのではなく、自然発生的に経済が発達しできていったものであった。農民は律令の税から逃れようと浮浪・逃亡し、それらを捕まえて開発させたのは貴族・寺社であった。そしてそこには自然な共同体が成立していたと言える。当然、すべての農民が浮浪・逃亡したわけではない。つまり古代の共同体は伝統的に形成された歴史の深い共同体と、律令体制以降に新しく成立していった歴史の浅い共同体の二つがあった。どちらも共同労働・共同所有の中で、ひとつの神を信仰することで関係・信頼を深めていったことには変わりない。だが後者は個別経営の性格が根底にある共同体へと化してくのである。これが集団的村落共同体である。領主化せずに村落結合を繰り返し、日本社会の新たなムラの共同体を構成していくこととなる。例えば用水路を共同で開発し、個別経営者同士が共同で使いあうといったような、個人経営とはいえ互いに協力し利益を分配する共同的な生活が営われていた。これは古代の共同体とは確実に異なる新たな共同体が登場したことになる。
中世になるとさらに村落結合を繰り返し、日常の耕作は構成員としての農民の協力によって成立していた。その後小規模農民の暮らしも安定し、地頭が下地中分・脱税などして、地方に富が集まり、村落の暮らしも安定した。行政機能を持つ村も出現し、室町後半には国家創立以来始めて、農民が完全に自治をする村もでてきた。そして戦国時代を経て兵農分離によって都市と農村は隔離され、都市にも農村にも家のつながりによる経済的共同体が成立した。「小経営」である。
そしてここから本題だが、この「小経営」システムが完全に崩壊しようとしている。共同体が崩壊と言ったが、一番はこの「小経営」が今姿を消していることが社会に大きな変革を与えている。それでは「小経営」とは何か。
この「小」は私的には「家族」を指すと考えている。「家族」とは、居住を共にすることによってひとつのまとまりを形成した親族集団のことで、人間が生まれて初めて出会う社会でもあり、強い情緒的包絡で結ばれた血縁集団を基礎する第一次的な福祉志向団体である。そのため本来は信頼・連帯が最も強い小規模な共同体が、家族である。つまりこの家族による経営は非常に大きな生産力が期待できる。例えば江戸時代の鉱山がそうである。鉱山業を家業としていることにより、その家族では自分と自分の家族のために懸命に発掘した。自分が食べるため、それだけではなく信頼・連帯の最も強い共同体構成員が食べていけるようにするため、努力を惜しまなかった。そのため日本は当時世界有数の銀発掘国となったのである。これは当時技術的には日本を上回っていながら、生産力では中国が日本に劣っていた事実を考えれば正しいと言えよう。
このことは自分の出身の地域と比較しても言えることだと思う。私の出身地は
現代には見られない光景。これが「小経営」崩壊の進む前の社会の光景だと思う。現代
では住居的にもキンジョをとる、といった考えは少なくとも都市空間では消滅し、私の出身地でも消滅しかけている。地域的連帯はなくなりお互いの係わり合いのない、いわばアノミーに満ちた社会で私たちは生きている。そしてこの社会で伝統的に続いてきたもので本当に崩れていることはなにか。それは「絶対的な子ども」という存在である。小経営の時代は子は家にとって絶対であった。職住一致の時代では、地域の経済を担っていく存在として子は地域で育てられ、また家の大事な跡継ぎとしてなくてはならないものだった。今はそうではない。小経営の時代が終わり、結婚しなくても、子どもをつくらなくても生きていける時代に突入している。一生独身を望むものも増え、いわば現代都市空間では子どもを必要としない社会が成立しているのだ。その証拠が原始以来増え続けていた人口が、先進国の都市空間で減少し、少子化は歯止めが利かなくなっている。これは今が大きな社会の転換期であると言うことができないだろうか。
現代の様々な社会問題。少子化、子どもの自殺増加、離婚増加、家庭内暴力、キレる子ども。従来は庶民にはあまり見られなかった親が子を、子が親を殺す時代。これらはもちろん本当に増加しているかは検討していかないといけないが、現実としてあるものであり、目をそらせてはいけない現実問題ばかりだ。その原因の根底には日本的な共同体、家族的なつながりの強い小経営が姿を消していることがある。そしてこの壊れてしまった共同体を復興させることは難しい。ただし人間とは一人で生きていくことはできない悲しい存在である。いつか自然発生的に別の形で共同体の要素をもつ何かを待望することしか、今はできないのではないかと思う。
日本流自殺論
これから日本の歴史の中で行われた「自殺」という現象を、デュルケムの自殺論の考え方に当てはめ、考察・検証していきたいと思う。つまりデュルケムの自殺論をあえて肯定し検証して行く。そして歴史の中で行われた自殺を見ながら今日行われる自殺についてのそれなりの解決策を出していく。
それではまず戦国時代に日本人の中で定着した「切腹」という行為について考えてみる。まず切腹とは「死」という結末を導き出す自殺行為であり、また行為の間に藻掻き苦しみ自身の現世を精算するという目的にあるものである。武士道・禅の精神に乗っ取ったもので欧米人や現代の日本人でさえも理解しがたい行為である。デュルケムも本文中で次のように述べている。「日本人が全くつまらない理由のために切腹することは有名である。日本では、かたきどうしが、たがいを倒す術を競い合うのではなく、自らの手で腹を裂く術の巧みさを競い合うという実に奇妙な果し合いの慣わしさえ行われている。」と。これを集団本位的自殺の中で説明し、彼は生に執着しないことを徳とする考えとして理解しているが、本当に戦国武士は生に執着していないのか。まず、当時の戦国大名たちは全てとは言わないが大部分は世の中の無秩序状態を統合し、戦争をなくすという名目上、自分が天下を治めるという欲望に満ちていた。つまり生きるうえでの目標が欠かさず存在していたことになる。これはアノミー的自殺という観点からも外れる。人間の欲求は必ずしも肉体に従属しているわけではなく発達するもの。つまり切腹の概念は生に執着などとは無関係なのである。社会が無秩序状態のときに、人間が生に執着しないということは考えにくい。私論だが無秩序の社会では自己保存の欲求に満ちているか、ニヒリズムのごとく無気力に走るかのどちらかだと思う。そして武士は目的がはっきりしているのでほとんどが前者であると言いたいところだが、そうではない。目的を持っていて生に個人差はあるが、執着しているのは戦国大名であって、下級の武士らはそうではない。確かに全ての武士が武士道と言う精神で統合されていることに変わりはない。だが、共通する精神を持ちながらも大きく異なっている。大名は先ほども述べたように自己の欲望のために天下統一という対象を得ようとした。対して他の家臣たちは「主君」のため、そして「武士道精神」を守るために戦う。典型的な集団本位的自殺に組み込まれるのだ。それに戦国中期までの武士の切腹は自ら十字型に腹を割き、他人の介錯などという手を借りなかった。他人の手を借りれば楽だが、それでは自決の意味が果たされない。それは現世の世俗を断ち切る「潔さ」の表れでもあるが、同時に主君を思う気持ちや自己の責任の表現、または敵に自分の首を与えない手段としての行為でもあるが、一番の目的は「主君のため」という「武士道精神」を守るためであった。つまり生に執着せずに自分の命を超えるものを持っていたのは、実際には戦国大名を除いた武士(足軽はまた例外)だったのである。
さらに切腹は無秩序状態が過ぎた後も、日本人の文化的理念として残っていく。明治以降は武士階級の消滅した近代国家日本において、この「切腹」の習慣は、なくなったかに見える。しかし時々、その後も切腹する日本人は存在する。天皇崩御に殉じて自決した乃木希典大将の切腹(1912)は有名だ。この時、日本人は西洋文化に染まりつつあったにもかかわらず、その多くは基本的には彼の行為を「名誉ある死、立派な死」と讃えた。ただし太平洋戦争後25年も経た1970年に、市ヶ谷の自衛隊総監部で切腹を遂げた三島由紀夫が切腹したとき国民は、もはや乃木のときのような擁護はしなかった。大部分の国民は「三島は頭がおかしい」とか「時代遅れ」だとかの考えしかしなかったと言う。ではこの転換はいつ行われたのか、そして「切腹」などはもはやなくなった今の時代になぜ自殺が増えているのかを論じていく。
切腹が消えたのはおそらく上に上げた二人などを除けば、おそらく明治政府ができて数年が過ぎてからであろう。始めのほうは言うまでもなく西郷隆盛が切腹している。この数年後に切腹行為がなくなったのは事実であろう。しかし、切腹という行為はなくなったがその精神は受け継がれていった。事実から述べていけば、それは太平洋戦争の神風特攻隊、人間魚雷回天、沖縄の集団自殺などがあげられる。ここでは特攻や回天も自殺としてとらえ、なぜ彼らがみずから命を絶ったかについて検証してみる。
第一の原因としては切腹と同じ、つまり天皇のために死ぬことは名誉だと考えていたからということ。さらに特攻隊員や回天志願者らは家族を守るためといった考えの上に、敵軍に突っ込んでいった。沖縄の市民は天皇万歳を叫び崖から飛び降りた。この第一の原因としてあげたのは集団本位的自殺そのままに当てはまる。自分の命よりも国や他人が大切であるが故の自殺。社会と個人のつながりが強すぎるが故の自殺。自我が自由でなかったため発生した自殺であろう。第二の原因としてよく言われることだが、精神的にコントロールされ行われたものである。これは第一の理由と似ているようで少し違っていて、虚偽的な内容を信じ込ませて自殺へ追い込むものである。沖縄戦の市民は集団で自殺をしたが、これは他殺に近いかもしれない自殺である。なぜかというとどうも
さて、上のような歴史的事実を社会学的にとらえるのは難しいかもしれない。なぜなら歴史学が100パーセント科学的要素からできていることはまずないからである。ただし上の第二、第三の理由から共通する事実がある。それは「自殺しなければならない状況」を作られたことである。(ちなみに今回はこれらのことはデュルケムの自殺の定義に従い、他殺とは考えないものとする。)この自殺しなければならない状況、この状況はいかにして発生したのだろうか。
この構造は日本古来の農村社会の中にある。村落共同体の中に根本的原因がある。毎日顔をあわせて暮らす村落共同体の中では、「村八分」といった村人の中でのおきてが存在した。「村八分」とは村中で掟や秩序を破った者に対して課される消極的制裁行為についての俗称のことで、地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話(死体を放置すると腐臭が漂う、また伝染病の原因となるため)と消火活動(延焼を防ぐため)という、放置した場合他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことである。この村八分によって日本人は共同体の中で仲間意識をつくっていくといった集団主義的な思考が強い。そして村八分の浸透は個人に他者の脅威を意思付けさせたといえる。つまり戦争で赤紙をもらって拒否できなかったのも、近所の目、声を気にしていたから、特攻や回天に行きたくなくても乗ったのも、強制的に乗せられたともいえるが、やはり他人の目を気にしていたからだ。
どうも日本の戦争の原因が社会構造にあった、という結論になってしまいそうでもあるが、日本人が「お国のために」といって自殺していった数々の例がおそらく「仲間はずれにされたくない」という意識的、あるいは無意識的な行動の結果が先ほどから述べている特攻、回天、集団自殺なのである。いやでも周りを気にし、回りに従う。確かに全員がそうだったとはいえない。教育の方針から自我より国を愛することが正義とされた教育を受けたことが大きいであろう。しかし、実際人間が死ぬとき、全員が全員そのような思想に従うとは思えないのだ。だから多くは仲間はずれにされたくないという、古来、日本社会に植えつけられてきた社会構造の中に原因があるといえるのだ。
このような自殺はデュルケムの分類とはまた異なるものだと思う。事象だけ取り上げれば実際は分類に当てはまるが、上のように考えればまた少し別の、社会構造が作り上げた、民族独特の自殺が存在することになろう。事実デュルケムはアジアの自殺者までは、科学的な検証をしていないしこのことは事実になると思う。だが、気になることが出てくる。今に視点を置き換えるとどうだろうか。ムラ社会などほとんど残っていない。ムラ社会的要素は会社などで残っているが、実際は西洋の個人重視の考え方が浸透し、少なくとも戦前とは全く別物の世界の中で生きている。だが自殺は日本の自殺率は先進国の中でも世界一といわれている。実際調べてみると、人口10万人当たりの死亡者数で比較して、日本は欧米先進国と比較すると確かに世界1の自殺率となっている。さらに範囲を広げた国際比較では、図のように、日本は、リトアニア、ロシア、ウクライナ、ハンガリーなどに次ぐ世界第10位の自殺率の高さとなっている。このように国内の混乱が続く体制移行国に次いで高い自殺率ということから日本の自殺率はやはり異常な値であるといわざるを得ない。(だが2004年には韓国が日本を抜いたようだが・・・)これはどういうことか。
確かに太平洋戦争後の民主化で、ムラ社会的な構造は崩壊した。いや、正確には明治初期に崩壊しかけていたが、完全に姿がひとつひとつ消されていったのは戦後の民主化改革の中であろう。池田内閣の所得倍増計画以来の高度成長期で、日本は生まれ変わったのだ。しかし民族性はそう簡単に消えるものではない。日本の自殺率の高さについては、自殺が文化の一部となって定着しているのだ。直接の原因は高度成長以来発展した経済の中での過労や失業、倒産、またはいじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。他のアジア諸国でも見られるようだが、やはり日本は切腹の文化が存在することが今でも民族性の維持に大いに関係しているのである。それは論理的には導けない結論としてある民族性の伝達と言うものなのである。
デュルケムの「自殺論」では最後に自殺予防として、社会集団を強固にし、個人が集団に連帯責任を持ち、個人が個人の中に自分の行為の目的を求めなくさせることだ、と主張している。そして過去の中に含まれた新しい生命の萌芽を探り出し、成長をうながす、と述べている。確かにデュルケムの言っていることも一理あるのだが、日本の場合は伝統的に受け継げられてきた民族性にも原因があるのだ。そして最近は「死」を美的にとらえて死んでしまう若者も多い。それはもしかしたら切腹文化をもつ我々日本民族の無意識の美意識なのかもしれない。
さて、では日本の自殺をこれからなくしていこうとする対策など存在するのだろうか。今までの論理だと民族性を消滅することが、ある意味自殺現象につながるかもしれないが、それは不可能であることは熟知している。私は教育学部だからか、現在の自殺の行為減少には教育の構造的な見直しが必要とされているようでならないのだ。
現状、日本で子どもの自殺が増加している。原因は先ほどから述べている目に見えない民族性も一理あり、また若者に見られる死の美意識の内面化でもある。これをとめるには教育を変えていくしかない。ただし学校を変えるのではなく、教育を変えるのだ。社会学的には、学校・地域・家庭のシステム自体を見直していくことが必要なのである。学校でのいじめの多発、そこからの自殺。これは学校・地域・家庭の連帯意識が欠けてきてしまったからだと思う。先ほど、村落共同体の話がでてきたが、村落共同体の中での自殺は少なかった。それは互いのつながりがしっかりとした基盤として存在していたからだと言える。デュルケムに戻るが人間のつながりが弱いと人は自殺しやすいこととなっている。それが今の子どもが生きている社会である。学校がパンクしそうなくらい役割を担い、地域・家庭と連帯しにくい状態。もっと先生と保護者との連帯が強ければ、生徒への対策も強くなるはずなのだ。また、地域と学校がもっと連帯していれば、いじめ問題も進展していくはずだ。それなのにそれができない。現代都市空間は村落共同体に戻れない空間になってしまったからだ。子育ても共同で行わないから、子どもと地域の関わりもない。関わっていれば子どもの悩みも聞いてくれる人がいたり、子どものいじめに気づく人が出てくるはずなのにそれがない社会。自由が個人を集団から排斥しすぎた結果が現代都市空間である。
これには新しい関係を構築していくことが必要であると思う。人間がつながり関係していく中で、個人をひとりにしない社会をつくっていくべきだ。集団的なものを新しく再構築していくべきなのだ。それが少なくとも現代の子どもの自殺の歯止めになっていくと思う。そして人間関係力が全ての人の自殺をとめる要因になっていくのである。
