私の父は73歳。
団塊世代の典型的な企業戦士っていうタイプだったけど、
私が子供の頃、
ニュースで報道される遠い国の戦争に、幼い私はショックを受けて
「何故、戦争なんてするのだろう?」
と、子供らしい疑問を父に投げかけた。
企業戦士の父は、鬼みたいな回答を口にした。
「経済発展のためには、犠牲が必要なんだよ。戦争がおこると経済効果があるからな」
笑いながら答えた父の姿を、幼い私は、恐々と見つめた鮮明な記憶がある。
父は厳しく怖かった。
その上、経済発展は人命に勝ると考えている冷酷な人格だと思っていた。
私が大人になり、
湾岸戦争が報道された。
大国、先進国の諸事情で、
人命が軽んじて扱われる現実を理解し、歴史的背景も漠然と理解しながらも、
私は先進国がうける利益を享受して安泰に生きている。
報道される戦火は、まるで映画のシーンのようだ。
先進国は正義のために戦っていると報道されている。
精密な兵器は、敵国の軍事施設のみをピンポイントに狙撃していると報道されていた。
真実なんて、追及しないほうが賢明だと理解していた。
私は、豊かで安泰な日本の国民だ。
善悪を論じる立場でもない。
冷笑しながら報道を眺め、たまに評論家まがいの雑談で、湾岸戦争を話題にする。
それが、正解だと思った。
大人になった私には
幼い頃に恐れた父の言葉の意味が理解できていた。
そして、ひややかに笑うしかなかった。
父は73歳になった。
私は43歳になった。
世界情勢も変わり、なにより、急速にインターネットが普及した。
遠かった国は、身近になった。
今、湾岸戦争の頃と、情報量が違う。
父は経済発展より、日本の文化や歴史を重んじるようになった。
ゆえに、他国の文化や歴史を重んじる人々の想いを感じるようになった。
私はテレビの報道より、ネットの情報に信頼を寄せるようになった。
テレビの報道が陳腐に感じるようになった。
今日、父が言った。
「そもそも、世界は西暦を共通の暦としている時点で、偏りが始まっているよな。
キリスト教の世界観を中心にすることは、他の宗教を崇拝する多くの人には受け入れがたいよな…」
父も私も無宗教だ。
西暦は便利だと思っている。
テロは憎むし、
殺戮なんて受け入れられない。
たぶん、普通の日本人だ。
イスラムの歴史をネットで学ぶ。
キリスト教の歴史をネットで学ぶ。
日本人には馴染みのない、あまりにも長い歴史の宗教紛争。
日本人には馴染みのない、あまりにも長い歴史の領土問題。
地球の裏側で、何代も語り継がれた、憎しみや恨みは、私が生まれ育った国には理解することは難しいのかもしれない。
キリストの名のもとに繰り広げられた侵略の善悪を考える土壌が無かった。
一人の日本人の命の危機がきっかけで、
いかに多くの人が悲しみの中で苦しんでいるのかが、浮き彫りになってきている。
そして、私は思う。
イスラムの神も、キリストの神も、
こんなに多くの人が苦しみ、憎み合うことを回避する力が、無いの?
本当に人を救う宗教って…あるのかね?
父は言う。
「どこぞの神より、俺の方がよっぽど拝む価値があるぞ。俺の方が公平な視野をもってるからな!」
