今までの美術館紹介の中でも今回は特別編!
ご紹介するのは西武新宿線の上井草駅にある、ちひろ美術館。

こちらで初めての経験をさせていただきました。超ドキドキ。

でも本当に素敵な時間を過ごしてきたので、是非皆さんに読んでいただきたいです。





ちひろ美術館は絵本画家いわさきちひろの作品を紹介している、世界初の絵本の美術館。

館内には靴を脱いで絵本やおもちゃで遊べる「こどものへや」、授乳室なども完備されていて
お子様連れにはとても寄り添って居るのはもちろん、居心地のいい空間なので、
この夏お出かけしたい、けど熱いところは辛い…という方には是非一度訪れて欲しい美術館です。


こちらでは愛らしいちひろの作品が楽しめるのはもちろんですが、

他にも様々な絵本作家さんの展覧会が定期的に行われています。
現在開催されているのは『谷内こうた展 風のゆくえ』。

 


谷内こうた『のらいぬ』(至光社)より 1973年(個人蔵)

 

こちらが今回のメインビジュアルにもなっている作品。

この暑い夏にほっと心休まるような可愛らしい絵で、

目から涼を感じるのにもピッタリの展示になっています!


谷内こうた(1947-2019)は神奈川県川崎市生まれ、世田谷区上馬育ち。

22歳で叔父の六郎に勧められ初めての絵本の絵を描き、24歳で日本人として初めて

ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞を受賞するなど、

若くして実力も人気も確かなものにしていきます。
展覧会では人気の絵本の原画に加えて、手がけた雑誌の表紙絵や

六郎に勧められて描いていたタブローなども展示されています。

 

 

そしてなんと今回…
自然や子供に向けられた優しいまなざしや絵本への思いはどこからなのか、

 

 

奥様の谷内富代さんにお話を伺う貴重な機会をいただきました。

とても緊張していたのですが、優しく明るくお話ししてくださいました。

是非これを読んで、展覧会に足をはこんでいただけたら嬉しいです!

 


國領浩子(以下、國)

「はじめまして。今回は未熟者の私のブログではありますが、是非多くの方に谷内こうたさんの作品を 

 知っていただきたいということで、お話を聞かせてください。」

谷内富代さん(以下、富)

 「若い方にぜひ伝えたいんです。本当にそれを望んでたんです。

  今の若い方は自然を大事にしたり、お野菜作ったり、それから自分の世界で生きるとか。

  フランスに住んでいて今の時代の若い人と、フィーリングが合う気がするんです。

  なんか私たちが生きた70年代っていうのが、今の時代と通じるんじゃないかなって

  ふと思っちゃった。私たちが、こうたさんが生きた時代、70年代最初っていうのは

  ちょっとヒッピーな人とか、自由とか。なんかそういう時代を生きたんですよ。

  そういう意味で、こうたさんの日本語をきっと共有できるのは、

  30代40代とか今の若い人たちじゃないかなと思うんです。」

 

谷内こうた 宿の裏庭 1978年(個人蔵)


國「こうたさんと初めてお会いになったのはいつだったのですか?」

富「これがすごく強烈な印象で、旅行の途中で会ったんです。
  旧ソ連とフィンランドの国境で汽車が止まった時だったんですが、

  まだ共産主義で今とはもう全然違う国だったから、兵隊が乗り込んできて

  何か持ち出し物などないか、2時間くらい調べるんです。私は団体旅行だったんだけど、

  雪もあってすっごく寒くて、風邪をひいていて一人車両に残っていたんです。

  でも誰もいなくなってしまったし、ちょっと怖いなと思ってしばらくしてから汽車を降りました。 

  そしたらこうたさんが向こうから来て。ちょっとシャイなタイプの人なんだけれど、

  その時だけは目が合って「ソ連のお金が使えなくなるから残ってたらここで使った方がいいよ」

  って私に話しかけてくれたんです。2人ですぐ売店に買いに行って森のくまさんかなんかの

  チョコレートを買ってね。ずっと知り合いみたい、幼馴染みたいに食べたりしながら。

  その時誰もプラットフォームにいなかったの。目と目が合ったっていうのが不思議、

  出会ったって感じがしたの。その時のプラットフォームの印象がなんかすっごく印象深かった。
  こうたさんの絵本みたいにこうたさんしかできない出会いっていうのを、

  残してくれたっていうのは、すごいショックなくらいに嬉しいですね。

國「富代さんと一緒に経験されたことが落とし込まれている作品はあるんですか?」

富「それが、こうたさんの作品っていうのは谷内の実家にずっとあったのね。

  亡くなった後に全部整理するということになって、その時に見たら、

  例えば女の子と出会う『ぼくのでんしゃ』はその通りの出会いで、

  その通りにそこから旅が進んでいって、最後に男の子が空に行っちゃう。
  びっくりしちゃったの。「私との出会いってこれじゃない!」っていう風にね。

    それを絵本にしてたのよ。すっごい泣いちゃいました。すごく不思議だから。」

國「なんだか私も聞いてるだけで泣いちゃいそうです…(涙目)
  展示の記事の中に「大人向けだと思う」というような女性の感想がありました。
  富代さんから見て、こうたさんの作品はどう映っていたんですか?」

富「こうたさんは子供の気持ちというより、自分の気持ち、自分の世界っていうのを、

  「絵本という形にしていけばいいんだ」と表現をしていった人。
  多摩美が学生運動で閉まってもう学校にも行かないし、

  「こういう絵を書くからなんか1ページでも仕事がありませんか」と言って 

   アルバイトのつもりで書いた『おじいさんのばいおりん』と『ぼくのでんしゃ』を

     六郎先生からの紹介で至光社の武市さんにお持ちしました。

  そしたら武市さんがその場で黙って見て、すぐ「絵本にします」ということになった。
      いい加減に書いたのにいいのかなと思ったから、いろんな人の絵本を見て、

      こういう風に絵本を表現すればいいんだって考えて、

      それから3週間くらいで絵本として書いてみたのが『なつのあさ』です。 

  「これも絵本にします」って言われて、それがすぐボローニャで賞を獲ったので、

  六郎先生はこうたさんを「ラッキーボーイ」って言ってました。
  自分のやりたいことを表現して自由に書けばいいんだっていうのが自分でも発見だったみたい。

  だからやっぱりいい出会いだったし、多分そういうことがすごくすぐ理解できたというのは

  やっぱり一つの才能かなと思います。」

 

谷内こうた 『なつのあさ』(至光社)より 1970年(ちひろ美術館寄託)
  

國「長くフランスにいらっしゃって、フランスの方向けに出版しよう、とはならなかったのですか?」

 

富「賞を取ったので日本の代表として、日本から外国に出版したい。絵本は輸入ばかりだったから、

  日本から出すためにはいい紙を使っていい印刷をして、いいものを外国に出したい

  という希望が強かったんです。

  フランスの出版社から「フランスに居るなら是非仕事をしてください」って言われたけど

  ビジネスになっちゃうしそういうのに興味が無かったから、そういう仕事を絵本ではしないんだ、

  ということになりました。」

 

谷内こうた『ぼくたちのやま』(至光社)より 2018年(個人蔵)

遠くフランスから日本の里山を思い描かれた作品。

 

國「ちひろ美術館さんとはどんなご縁だったのですか?」

 

富「ちひろの息子の猛さんが大学生の時絵本論を題材に卒業論文を書かれて、歳が近いこともあり、

  こうたさんは若いときに会っています。

  伊豆のちひろさんの最後のアトリエに行った帰りに会ったり。
  猛さんはルーアンの家にも来てくれて、ずっと知り合いだったんです。

 

國「今回の展示、お嬢様への絵手紙がとても可愛かったです」

 

富「外国に住んでいたから日本の人と手紙のやり取りが頻繁にあったんです。

  幼稚園で言葉通じなくて苦労していたから、ちょっとふわっとさせる愛情の一つで遊びとして、

  娘の部屋にも郵便受けを作ってあげて毎日「ほらお手紙が来たよ」って

  こうたさんが出かけるときに入れて。そういうの得意なのよ、本当は。

  こうたさんはね、私生活とか娘のこと、私のこととか、ほとんど話したことないと思うの。

  これを見たら絵本のタッチとも違うこうたさんの良さがある。

  娘はね、「こういうので絵本書いて」って言ってたの、漫画みたいにね。」

 

國「奥様に宛てられた絵手紙はあるんですか?」

 

富「あったはずなんですけど、あちこちに行ったりしたからなんかないのね。

  ただ「仕事で頑張ってるお母さん」なんていってね、私がソファーでダランとね、

  横になって休んでる絵がこないだ出てきました。「仕事をよくしてるお母さん」とかいってね。」

 

國「拝見したかったです」

 

富「本当の姿だから見せたくないです(笑)でもそういう物事をちょっとユーモアに捉える。

  やっぱり絵描きの目だから、ちゃんと捉えているんですよ。」

  

國「今日は楽しいお話を沢山ありがとうございました。

  皆さんに知っていただけるように微力ですが頑張ります!」

 

富「こうたさんもちひろさんも、これから新しい方、若い方たち、お母さんたちに見ていただきたい。  

  こうたさんの縁でこうやってお会いできて、本当にありがとうございました。」