吉岡広小路情熱日記「新しい風」 -12ページ目

将棋大会!

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第25回 升田幸三杯将棋大会!
 
今日三次市十日市のきんさいセンターで、『第25回 升田幸三杯将棋大会』が開催された。
 
升田幸三氏は三良坂町(1918年)に生まれ、名人2期を含む7期のタイトルを獲得し、順位戦A級から一度も陥落することなく将棋連盟から「実力制第4代名人」の称号を贈られた。
1932年14歳で「日本一の将棋指し」を目指して家出、その独特の風貌もさることながら、絶えず既定の定跡にとらわれず独創的な差し手として新手や新戦法を編み出したとされている。
 
将棋大会には毎年のように参加させて頂いているが、広域商工会の三良坂の皆さんや関係者の皆さんのお陰で、第25回を迎えた大会である。
藤井壮太人気でもあるまいが、最近はご両親に連れられたり、おじいちゃんと一緒の少年・少女棋士の姿も目立つようになった。
 
この夏、三次市内の十日市中学校チームが、文部科学大臣杯小中学校団体戦で全国優勝を飾った。
升田幸三棋士のDNAがもたらした快挙なのであろう。
 
三次市も、もっと大切にしても良い大会である。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

「加計学園」は、どうなるのか?

カープは、M20!

 
今日のカープは、薮田投手の好投や田中選手の満塁ホームランもあって、6VS2で中日に連勝。
あのDeNA戦3試合連続サヨナラ負けが嘘のような、試合展開になった。
昨日はジョンソン投手が復活し好投したし、何とか陣容も整ってきた。
 
最近の話題としては、学校法人「加計学園」の動向が気になる。
愛媛県今治市に学校を建設中の、岡山理科大学獣医学部の新たな設置が認められるのかどうかという行方である。
文科省は昨日の25日、大学設置・学校法人審議会が「加計学園」の獣医学部設置の判断を保留し、継続審査とすることを発表した。
加計学園の理事長が安倍総理とは特別な友達で、特区申請や学校設置認可に特別な影響が与えられたのではないかという国民全体の不信感が募ってしまって、そう簡単には認可・設置ということが審議会でできなくなっている。
再審議して10月下旬には判断を下すということだが、時期をずらしても簡単には認可されにくい。
認可を認めてたとしても会議の議事録を公開せよとか、その審議過程が国民の関心ごとになっている。
 
一方、今治市などが多額の予算を出費し既に用地の取得、学校建設が進んでいる中で、これを中止することの損失も大きすぎる。
設置に関して内諾を与えたのは文部科学省であるし、いきなり不許可にされても困ってしまう。
「森友学園」の学校校舎にしてもその建物自体が残るというリスクも大きい。
 
どちらに転んでも批判が集中することは確かなのである。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

薬価抑制?

高額すぎる医療費?

 
今朝の朝日新聞に、膨れ上がる医療費を抑制するために、政府が薬の費用対効果を評価する組織を作る検討に入ったことが伝えられている。
 
日本の医療費は増え続けていて、2015年度の医療費は約42兆円で、団塊の世代が75歳を超える2025年には推計54兆円とされている。
 
特に最近は、少子高齢化と医療技術の進歩、さらには高額の新薬の認可によっても医療費が高騰している。
昨年三次中央病院での薬剤費の減価償却費への不正流用でも見られたように、C型肝炎の治療薬などは1日数万円、月の薬剤費だけでも100万円を超えるが、実際に当事者が払う費用は数万円と抑えられ、そのほとんどを保険制度によって維持されている。
当然国や自治体のの負担も大きくなるばかりで、そのあり方を考えるのは悪くない。
 
例えば病気の治療や完治のために使われる薬ならば少々高額でも医療費を支援すべきと考えるが、延命治療のために使われるがんの治療薬が毎月数百万円に上るとなると、違う終末医療の考え方があるのではないかとも考えてしまう。
 
英国などではそうした高騰する医療費を抑制するために、延命のための薬価の限度額を設けたり、その費用対効果を検証しているという。
 
金持ちだけが高い薬代を個人負担し、延命する社会も認める訳にはいかないが、生き方や最後の迎え方を自らが選択し、誇りをもって終末を迎えるのも悪くないはずだ。