前川裕佑氏 お別れの会。 | 吉岡広小路情熱日記「新しい風」

前川裕佑氏 お別れの会。



前川裕佑氏を惜しむ!


今日関西、「ホテルオークラ 神戸」で、『前川裕佑氏のお別れの会』が開催された。

去る5月24日にご逝去されたが、ご家族だけで密葬は済まされ、今日「お別れの会」が開かれた。


三次商工会議所会頭などの要職を歴任され、三次市の発展に寄与された功績は真に大きい。

前川裕佑氏は昭和9年生まれで、私の父と同年輩である。(私の父は昭和10年生まれ)

昭和32年に前川電機株式会社を設立され、代表取締役社長にご就任後、昭和43年10月に三次の地に三次電機株式会社(現:ミヨシ電子株式会社)を設立後、数多くの関連会社を設立され今日に至っている。

戦時中、三次に疎開されたことがそのご縁であると聞かせて頂いている。


自身は現代社会にあって、経営はカメレオン経営でなければならないということをしきりに強調されていた。

複眼的で時代の流れに敏感に対応しなければならないことだと、私は解釈している。


私自身は市長時代に特に、「奥田元宋・小由女美術館」の開館に関して理事として多大なご尽力をいただいたし、三次ケーブルビジョン(CATV)の設立は、前川裕佑氏の存在がなければ実現できなかった。

絶えず決断が早く、将来の三次市のために教育の必要性を説かれ、中高一貫教育校設置に向けての種をまかれたことも、これからの三次市に明るい材料である。


プライベートでも可愛がって頂き、海外へも度々一緒に行かせて頂いたが、もう少し二人で三次市のために、二人でしかできない仕事がしたかった。

前川さんでないとできない仕事は、今も山積している。


しっかりとご意志を組んで頑張りたいものである。

  

                                      合掌