新潮の現代国語辞典(第二版)によると、詞書(ことばがき)とは、
1、和歌・俳句のはしがき。作られた場所・理由・事実などを記したもの。
2、絵巻物で、絵と絵の間に記した説明の文。
3、絵本で画中の人物の言葉を書いたもの。
とある。西行の歌集の中でそれぞれの詞書がどんな役割を担っているのか、昨日今日に西行を読み始めた者にはわからないのだが、一般の読者としては、日記文学の地の文章という印象を抱く。
 例えば、先にもあげた月の歌だが、その詞書は

 月歌あまたよみけるに

 とあって、月の歌が42首続くのだ。一気呵成に42首ということもないだろうし、歌集編纂の過程で何年分かを合わせたのかもしれない。
 だが、「山家集(下)」の「雑」の部に、「恋百十首」という詞書で恋の歌が百十首続くのだ。気になったものを少し挙げると

   問はれぬも問はぬ心のつれなさも憂きは変らぬ心地こそすれ (「山家集」下 雑) 

   (とうやま意訳)向こうから連絡がないのも、こちらからしようとしない私の気持ちも、どちらも辛い。

 ながらへて人のまことを見るべきに恋に命の堪へん物かは (「山家集」下 雑) 

   (とうやま意訳)ここまで生きてきて人間の本質・本心もわかっていいはずなのに、恋に命をつくしてしまうものだ

 君慕ふ心の内は稚児めきて涙もろくもなるわが身かな (「山家集」下 雑) 

   (とうやま意訳)君を思う胸の内は幼児みたいになって、涙もろくなるこの我がありようよ

   君に染む心の色の深さにはにほひもさらに見えぬ成けり (「山家集」下 雑) 

   (とうやま意訳)あなたのことで胸がいっぱいになってそ愛情がとても深いので、あなたの香りまで感じるようになってしまった

   多分、俊成なんかから歌を依頼されたりしていたのだから、職業歌人でもあったと思うし、山家集の編纂については長く計画をしていたようなので、ここで詠まれている激しくも苦しい恋心が西行の恋を歌っているなどという近代の私小説的な読解はするべきではないと思う。
 しかし、こんな場面もある。

     新院讃岐におはしましけるに、便りに付けて、女房のもとより

 水茎の書き流すべき方ぞなき心の内は汲みて知らなん 

     返し

 ほど遠み通ふ心のゆくばかりなほ書き流せ水茎の跡  

     又、女房つかはしける

 いとどしく憂きにつけても頼むかな契し道のしるべ違ふな

 かかりける涙に沈む身の憂さを君ならで又誰か浮べん 

     返し

 頼むらんしるべもいさや一つ世の別(わかれ)にだにも惑ふ心は

 流れ出(いず)る涙に今日は沈むとも浮ばん末を猶思はなん (「山家集」下 雑) 

   新院というのは崇徳院のこと。大河ドラマ「平清盛」では井浦新が演じていた、保元の乱に敗れて讃岐に配流になった人。ここでは新院の女房との贈答歌となっているけれども、そういう体を装った、崇徳院本人と西行の贈答であるという意見もあるようだ。
 不本意な処遇、都へ帰れない苦悶、悲哀に打ちひしがれている院の様子を歌ったものだ。距離は離れているけれども、心は通っているからいつでも便りを出して欲しいと西行が応えると、「契し道のしるべ違ふな」私を後世(仏)へ導いて欲しいと、「涙に沈む身の憂さを君ならで又誰か浮べん」とさらに訴えてくる。それに対して西行は「後世のことを頼まれても、現世でこうして別れ別れになっていることですら、心惑う私にそれができるかどうか」と返している。
 史実に登場する人物名が出てきて、この歌もフィクションなのだろうかと考えてしまうわけだ。フィクションとまでは言わなくとも、詠歌の際に、新院への気持ちを優先しているというよりも、自分の歌は他人に読まれるものという意識はあったはずだから、新院への気持ちもあるけれども、デフォルメというか、歌の美しさを優先したのではないか、と私などは思ってしまう。
 西行は自分の歌の芸術性を信用していたと思うし、それを中央の歌人たちが期待しているのもわかっていたと思うし、私家版とはいえ早くから「山家集」の計画はあった。そういうアイデンティティーがどうやって虚実を使い分けたのだろうか。
 勝又先生の「私小説千年史 日記文学から近代文学まで」、やっぱり買って読むか。