自分の病気からまた脱線して死刑囚のことを少し調べた。

長い間なにかに興味を持つことの少なかったことで、自分は知らないことがいっぱいあるんだとわかった。

ニュースを意識して見たことがあまりなく、事件は知っていても加害者のその後は知らなかったりすることが多い。

その事件はかなりの事件だったから覚えている。
でもその加害者が死刑判決になっていたのは知らず。

必ず書かれる加害者の生い立ち。

その加害者の生い立ちはとても異常で、親が加害者を作り上げたと言われても仕方ないと思った。

でもそれよりも、その加害者の弟さんの話に目がいった。

弟さんは事件のしばらく後に自殺している。

その弟さんと関わっていた記者の記事を読んだ。

事件の後は、職に就いても必ずマスコミが見つけて押しかけてくるから辞めなくてはならなくなり職を転々。

どうやって周りに知られるんだろうと思っていたけど、マスコミが追いかけることが原因の多くなんだとわかった。

そんな弟さんにも普通の幸せが訪れる。

隠し続けてきた事件のことを全て話した女性に
「あなたはあなたなんだから関係ない」
と受け止めてもらえて恋人になる。

だけど恋人関係は認めた彼女の両親は、結婚には猛反対した。

悩んでイライラしてきた彼女に、加害者の家族として非難される。
あなたはあなただから関係ない、その言葉に救われたのに、その言葉を言ってくれた人からどん底に突き落とされる。
(私の勝手な推測だけれど、結婚まで考えた彼女がそう言ってしまった過程があるんじゃないかと思う)


弟さんの記したもの

兄は自分をコピーだと言う
原本は母親である
その法則に従うと、弟もまたコピーとなる


自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました
加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです
それが現実
僕は生きることを諦めようと決めました
死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです
どう考えても浮かばない
何かありますか
あるなら教えてください


そもそも「苦しみ」とは比較できるものなのでしょうか
被害者家族と加害者家族の苦しさは全く違う種類のものであり、どっちのほうが苦しい、と比べることはできないと、僕は思うのです
だから僕は発信します
加害者家族の心情ももっと発信すべきだと思うからです
それによって攻撃されるのは覚悟の上です
犯罪者の家族でありながら、自分は攻撃される筋合いはない、というような考えは、絶対に間違っている
こういう行動が、将来的になにか有意義な結果につながってくれたら、最低限、僕が生きている意味があったと思うことができる


好きな東野圭吾さんの「手紙」を思い出した。






強盗殺人を犯した兄

生活の為にやったのだと知っている弟は、初めは兄の罪をなんとか軽くしたいと思う。

だけど加害者の弟としてつきまとう、理不尽な差別を受け続けるうちに、兄のせいで自分はこんな目にあうんだと思うようになる。

映画の台詞

恋人の父親が手切れ金を渡して言う台詞

「いつか君が子を持つ父親となったら、今夜の私の理不尽な申し出を少しはわかって貰えるだろうと思う」


勤め先の社長の台詞

「君は自分が差別を受けていると思っているんじゃないかな?
殺人犯の家族が差別されるのは、当然なんだ
その差別も含めて、君のお兄さんの罪なんだよ
差別のない場所を探すんじゃない
君はここで生きていくんだ」


自分の家族ができ、兄と絶縁することを決めて兄へ送った手紙の言葉

私たちのこれからの苦しみを知ることも、貴方が受けるべき罰だと思うからです。
このことを知らずして、貴方の刑が終わることはないのです。


被害者家族の苦しみも加害者家族の苦しみも、私にはわからない。想像もつかない。

この家族の人がもし「手紙」を見たらどう思うのか。
それもわかるはずがない。

ただ加害者は、犯した犯罪だけでなく、それによって家族の社会性を殺し、想像に絶する苦しみを与える。
それら影響を受ける全てを含めたものが背負う罪。
これは確かなことだと思った。


現実の加害者の弟さんは、自殺するまでずっと兄との面会を求め、50通にも及ぶ手紙を渡したそう。

でも兄から返事がくることは一度もなかった。

弟さんは兄に直接会って何を聞きたかったのだろう。

何を言いたかったのだろう。

発信した加害者家族の苦しみは、その後望んだ有意義な結果になったのだろうか、なるのだろうか。
弟さんが最後に託した生きていた意味。



絶望し生きる気力をなくし、死ぬ苦しみより生きる苦しみの方が上回って、自ら命を断つ。
それはもう止めることのできない道。
絶望の中見つけた苦しみから解放される最後の望み。

私には否定も肯定もできない選択。
いくら考えても、良い事悪い事と簡単に分けられることではない。
でもその人を思うと肯定してしまいたくなる。


だけど加害者にも、やむを得ないと思わずにいられない理由がある場合があり、だけど犯した罪は罪になるように


自殺も、その人にもうこれ以上の報いがありませんようにと願う悲しい罪だと思う。