「死は悲しいものではない」

というのが

ミディアムを通して“見えないものから学んだ” 私が、この世の世界に一番伝えたいことなのですが、

「魂は永遠だ」っとわかっていても、それでもやっぱり、今今生での別れは、肉体を持つ私達の世界では、別れは悲しい。寂しいし、もっと一緒に居たい、置いて行かないで、っという気持ちは、否めない。

両方の気持ちがめちゃめちゃわかる。

これが私の、ギャップ、苦しいところなのです。


落ち込む遺族を、慰め力付けたい。

遺された人本人だって(かつての私自身を含めて)、わかっちゃいるけど、立ち直れるなら立ち直りたい、悲しみなんか癒せるなら癒されたい、けれど一方で、どうしても悲しい。魂の体験としても、「悲しみ」は必要があってそこにある、っということも、ある。

共に遺された人と悲しみを共有することが出来ない人達、そういう相手が居ない人達が、悲しみを奥底に封じ込めてしまって強引に元気をだそうと努力したりやり過ごす様や、

悲しみを無視したり顔を背けて、悲しむべき時に「死は実は悪いことではありません」などと、それは確かにそうではあっても、伝えるタイミングを間違えてその時に言ってしまうことは、

まるで膿を出さずに閉じ込めて傷を強引に縫い込んで、奥で化膿して後で吸収しきれずに大変なことになるのと似ています。

かといって、いつかは「死は悪いものではない」ことは、私はそれが真実だと思うのだし、それは伝えなければ、それは私の生き方ではない。


悲しみを、こちらまで毒されることなく、巻き込まれることなく、本人が頑張れるように上手く寄り添いながら排出させつつ、タイミングを見計らって「でもあちらの方はこちらが思っている以上に気楽で、死は悪いものではない」ということを、キャッチする感覚に忠実にはなりながら、お伝えしていく。

これは難しいのです、すごく注意力と工夫が要ります。

ミディアムは冷静さが求められる。

とはいえ、同時に、共感力や親和性があるからこそ、向こうの想いを写し出すことができるし、チャンネルを合わせられる。

ミディアムを健康的に続けるには、冷たさと温かさのような、真逆な状態を同時に扱う、優れたバランス感覚と、自分をコントロールする強さと工夫が、必要になる。(と私は思います。てきとーに気にしないでサクサクできる人はいいけれど、私は気にしいなのか丁寧すぎるのか、ここはいい加減には扱えません。)

ありのままに、寄り添うしかない。


ミディアムシップだけに結果を求めないで下さい。


何を利用しようと、何を見聞きしようと、

結局は、自分の思い方次第

自分がどう考えどう整理をつけるか

最終的には、そこしかないのです。



こんな本を見つけました。↓↓↓

「悼む」とはどういうことか
自然界の動物達の場合はどうしているのか

「死を悼む」ということに関して、客観的に、どういうことがこの世には存在するのか、

ご自分自身にちょっと距離を置いて眺める時間を少しでも、何かに集中することによって作り出せる、一助になるかもしれません。