舌がんの治療歴は前回お話ししたところまでで
終わりです。
頭頸部の主治医は、後遺症に関して当初からサポートしてくれる感じではなく、舌を全摘した私にとってメンタルはとても不安なまま。
食べることはどうなるの?
話すことはどうなるの?
どうやって生きていくの?
皮弁を作るためにオペに入ってくれた形成外科の先生が、膝を突き合わせて話を聴いて下さる唯一の先生で、私の不安や話を親身に聴いて下さり、その場ですぐに歯学部に電話して補綴科に繋いでくれました。
当時、がんセンターで関わった中で、唯一信頼できた先生でした。
患者の目をしっかり見て話をして下さる先生。
残念ながらその先生はもうがんセンターには
いらっしゃらないけど。
頭頸部の診察は、術後6年ぐらいのところで卒業。
一度目のオペも二度目のオペも、特にICUにいる時がとにかく辛くて💦
そして私の場合、二回共せん妄を起こしてしまい、
幻覚、幻聴にと、ホントの生き地獄でした。
また後に書きたいけど、せん妄を起こした原因は、PMSで飲んでいた向精神薬を、前日から一気にオフにしたからだと思います。
みなさんのブログを見ていると、同じようにオペ後は辛かったようなので、私だけじゃないんだな、と知りました。
がんの痛みは壮絶でした。
初発の時もかなり痛くて、そこですぐにがんセンターへ行けばよかったんですが、自分事となると怖さと、まさかね、という思いもあり動けませんでした。
そして、鎮痛剤を繰り返し使いました。
お馴染みのロキソニンやボルタレンです。
そして、がんの痛みには殆ど効かなかった。
がんセンターの時には麻薬が処方されましたが、神経での再発だったからか、全然効かず。
眠れない日々でした。
入院中に肝機能の悪化で点滴をしました。
そりゃそうだと思います。
あれだけ鎮痛剤使ったわけだし、他にも薬剤沢山使ってるんだし。
後、ここは大きなポイントですが
鎮痛剤の多用が、確実に免疫力を低下させたと思います。
鎮痛剤は血流を阻害しますからね。
再発への近道になってしまったと思います。
プラスして、私、無意識ではあるんですが、どこか経験したい好奇心👀があるようで。
全身麻酔ってどんなだろ?
意識がなくなる瞬間てどんな感じだろ?
身をもって経験したというわけです😅
今のところ、舌がんに関しては、二度目の再発はないです。
がんになる前からですが、甲状腺機能低下があって、疲れやすいのと、気持ちが鬱々しがち。
一時、薬を内服していましたが、今はやめています。
そして、子供のこと![]()
これも話し出すときっと長くなるなぁ。
結婚2年目でがんになり、まだ30代半ば過ぎだった私。
夢だった家族をこれから作っていこうとしていた矢先でした。
二度も大きな手術をし、プラスして抗がん剤に放射線治療。
がんの三大療法を全てやりました。
このまま子供を諦められるの?
答えはNO
高校時代の同級生との会話をキッカケに
不妊治療の病院に行こうと決めました。
旦那さんとも話して、病院の説明会に参加して。
新たなスタートを切りました。
これが2013年の4月頃。
最後の治療から丸三年も経っていなかった。
一応、頭頸部の主治医と眠剤等処方してくれていた同じ病院の腫瘍内科の医師には、これから不妊治療を始めるつもりです、と伝えました。
頭頸部の主治医は、反対こそしなかったけど
表情は明らかに微妙な感じ。
腫瘍内科の先生は、子供より夫婦2人の人生を大切にしたらいいんじゃないか?そんな意見で、
頑張れなんて言葉が返ってくるとは思ってなかったけど、諦めるよう説得された感じで、物凄く落ち込んでしまいました。
一度再発して、抗がん剤もやり、放射線治療もやり。そりゃそうだよね。医療者の立場なら分かる。
でも私はそこで立ち止まらなかった。
諦めたくなかったから。
不妊治療の病院は、一つ目のところでは結果が出ず、次の病院に行きました。
この時、実はまだエンシュア生活。
固形物がどうしても飲み込めませんでした。
時々トライするんだけど、コーンスープの小さな
粒でさえ喉に残ってしまう。
多分、私ほど摘出していない方は、もっと早く固形物を食べているんじゃないでしょうか。
オペをして3年、患者会に参加したり、嚥下の専門看護師さんにも関わってもらったり、食べる事に希望が見えた瞬間がありましたが、家族の協力がどうしても得られなくて、その事にもの凄く落ち込んでしまい、孤独になり、諦めて、またエンシュアに戻ってしまいました。
患者会に行くのもやめてしまい、食べる楽しみや希望を失ってました。
でも、子供を授かりたい気持ちが、私に生きる希望と光を与えてくれました。
長くなりそうなので続きはまた![]()