今回の入院は完全に想定外でした。

実はネクサバールによる薬疹だったのです。

 

2年前にも一度ネクサバールを服薬して、一日4錠飲んで九日目に薬疹が出てきて余儀なく辞めざるをえなくなったのですが。

それからはひたすら入れる治験を探し、絶対に諦めるもんか!と、今まで来たわけです。

 

しかし、四月に病状が急変して、受けていた治験を辞めざるをえなくなりました。

たくさんの方の協力により、見つけた「IGTゲートワタークリニック」で塞栓術を4度ほどして、命の危機に関わるような腫瘍を小さくしたり、抑えたりすることができました。

 

 

さて、これからどうするか!

 

となった時に、

局所治療(塞栓術なりラジオ波なり)はもちろん定期的にしていくつもりですが、全身療法について考えた時に、いろんな医師と相談した結果

リスク承知でもう一度ネクサバールを開始することとなったのです。

 

もちろん、一度薬疹が出た以上、今度は前回よりも何倍も慎重にいかなくちゃいけません。

 

一度薬疹で覚えた恐怖は、なかなか消えてはくれません。

 

「何も知らない」「経験がない」って意外にもいいものです。一度知ってしまうと、どうしても弱くなってしまいます。

知っているからこそ、嫌な「失敗談」が体験としてあるからこそ「もう一度なったらどうしよう」と思ってしまいます。

知らなくてもいいことってたくさんあるんだな、と、この時つくづく思いました。

(逆に「成功体験」はこれの真逆で、「成功体験」はどんどん積み上げるべきものだなって。)

 

それでも、私は「心配事の9割は起こらない」という適当精神で、飲み始めたのですが…

まさかのその「1割」に当たってしまいました。

 

かなり落胆しました。

 

 

 

 

 

薬疹の出始めの早朝から入院して二日目の夜(薬疹の勢いが強まりぶり返されるまで)

 

変な話、私はただひたすら「前得た経験」と「知識」と「周りの方」に感謝をしていました。

 

出始めの頃、前回の薬疹の経験があったからこそ、慌てることなく、すぐに対処をすることができました。

前回の経験に感謝します。

 

また、これは真似しちゃいけないと思いますが、前回のステロイド錠が少し残っていたので、とりあえず2錠だけ先に飲みました。

薬が残っていたことに感謝します。

 

早朝5時だったので、とりあえず病院の緊急時間外受付に電話をしました。その時点ではまだ熱や呼吸困難症状がなかったので、とりあえず様子をみてくださいと言われました。

しかし、経験からこれからひどくなることが予想されるので、病院まで車で最速でも1時間かかることから、自己判断でとりあえず向かうことにしました。(受け付けられないのなら、病院の近くで待つ予定でした。)

 

案の定、病院に向かう車の中、たった1時間で熱が39.2度まで上がってしまい、薬疹のどんどん広がっていき、呼吸困難症状まで出てきてしまったのです。

 

母は薬疹がで始めてから、ずっとそばにいてくれています。どれほど心強かったのだろうか。仕事もどうにかキャンセルして、一緒に病院に付き添ってくれています。

感謝です…

 

病院に着き、そのままER緊急救命室に入ることに。

すぐさま検査等をして、ステロイドの点滴を受けることになりました。

 

迅速に対応してくださって、本当にありがとうございます。

感謝です。

 

 

 

薬疹って、ただの湿疹でしょ?

と思う方もいるのかもしれませんが、実は結構怖い病気なんです。

ひどくなるとスティーブン・ジョンソン症候群になり、死ぬ可能性だって出てきます。

 

(実はかなり危惧されていました…ぶり返した時に高熱と粘膜症状(皮膚のただれと目の充血とびらん)があったため。)

(ん?今よくよく調べると、もう症状がほぼスティーブン・ジョンソン症候群なんだけど…治療工程もスティーブン・ジョンソン症候群の治療工程とほぼ一緒なんだけど…ということは、私はスティーブン・ジョンソン症候群だったの!?)

(びっくり!!!)

(今度の診察で皮膚科の可愛い主治医に聞いてみよう〜)

 

ぶり返されるまでは、(二日の深夜までは)

「よし、迅速な対応と知識でなんとか抑えることができた!前の経験と母をはじめ周りの助けに本当に感謝だな!やっぱり何一つ無駄なことはない!これからパアーッと薬疹が出始める前に抑えることができた!やった!」と甘く見ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、事態はそんなにうまくはいきませんでした。

二つ前のブログ(2)でも書いた通り…

二日目の深夜〜三日目の早朝にかけて

事態が急変して、薬疹が酷くなり始めたのです。

 

それまで、「もう治った」と思うっていただけに、私は再び絶望に落とされたのです。

 

三日目(薬疹の勢いが最もひどい時)

もうどうにも感謝の気持ちが湧いてきません。

話すことも辛く…目を開けることも、動くことも辛く…

さらには、何も考えることができなくなるほど、ただひたすら体内に蟻が這いつくばるような痛み、痒みと戦い続けるしかなかったのです。

意識を逸らそうにも、すぐさま痛み、痒みに意識が集中してしまいます。

1分1秒がこんなにも長いなんて、本当に久しぶりでした。

 

 

そんな「自分の痛みにしか意識を集中させられない」私を救ってくれたのが、

 

母でした。

 

 

 

母は私が入院してから、一旦落ち着いた入院日に一瞬だけ家に必要な物を取りに帰っただけで、それ以外は、私のそばを一歩も離れません。

私が痒みで苦しんでいる時、母も同様心の中でどれほど苦しかったのだろうか。

 

母の表情を見るだけで、

いろんな、いろんな感情が伝わってきます。

 

私がベットの上でただひたすら耐えることしかできない時、母もなぜか何もせずに、ただひたすらそばで私を温かく見守ってくれています。(きっと何も手につけられなかったのでしょう…)

たまに、心配しすぎて、隣に椅子があるのに、座るのも忘れてしまうほど、ずっとそばで突っ立って私を心配そうに見守るほど…

私が「母さん、座りなよ。」というと、やっと自分がずっと立っていたことに気がつくこともしばしば。

 

私に何かの動きがあれば、すぐに

「どうしたの?何が欲しい?水?氷枕変える?」と…。

 

二週間、文句一つなく、ただただそばにずっといてくれた母さん。

 

ああ、こんなにも心配させてる。

 

ああ、こんなにも愛されている。

 

ああ、めちゃめちゃ幸せなことだな…。

 

自分の痛みにしか目を向けることができなかった私を、母さんは変えてくれました。

 

どんな時であっても、私は一人じゃないってことを。

どんな時でも、母さんはいてくれることを。

私が感じている痛み以上に、母さんもきっと痛がって苦しんでいるだろうなっと。

 

薬疹で、意識朦朧でしんどいはずなのに、

なぜかそう気付いた時から

とても幸せな気持ちになりました。

 

母さんのためにも、一刻も早く薬疹を治したい。

 

ああ、お母さん、本当に大好き。

本当に、本当に、ありがとう。

ずっとそばにいてくれて、本当にありがとう。

私は大幸せ者です。

 

「母さん、生まれ変わっても、私は母さんの娘がいい。」

そう母に告げ、なぜか二人で病室で

薬疹入院してからの大号泣です。

 

ちなみに、ブログを書きながら、

今、思い出し大号泣中です。

 

本当に、幸せ者です。

本当に、本当に、お母さん、ありがとう。

 

それからまた気持ちが上向きになり始めました。

 

辛い時ほど、よりささやかなものに対しても目を向けることができます。

 

普段生活していて、「あたりまえ」だと思うようなことも、実は「当たり前」なのではなく、とても「ありがたい」ことだと再び実感しました。

 

まえは、ただベッドの上で

痛みに意識を集中していましたが、

母の愛に気づいて以降、様々なものに再び気がつくようになりました。

様々なものの「ありがたみ」に再び気がつくようになりました。

 

健康な体を持っている喜び

寝れる喜び

座れる喜び

ご飯を食べれる喜び

散歩できる喜び

笑える喜び

泣ける喜び

誰かと一緒にいる喜び

 

そして、今、生きている喜び

 

 

 

もし、今回薬疹で入院しなかったら

私はこんなにも「今生きている喜び」に気がつくことはなかったでしょう。

 

絶望や苦しみがこんなにあったからこそ

それ以上の喜びや「ありがたみ」に気がついたのでしょう。

 

振り返ってみて、人はすぐに忘れてしまうものです。

すぐに慣れてしまうものです。

でも、実は「当たり前」なことは何一つないことを。

 

動けない間、ベットの上で

今までの出来事を走馬灯のように振り返りました。

 

している最中は、なんとも思わなかった出来事も

辛いときから考えると、実はどんなにも幸せなことだったのか。

本当に、本当に幸せな日々だったのに、私は気がきつことができていなかった。

 

たくさんの幸せを私は「当たり前」だと思って、見過ごしてきました。

 

今回の入院、

気づかせてくれて、本当にありがとうございます。

薬疹になって、こんなにも素敵な時間を与えてくれて

感謝します。

 

私は大幸せ者です。