私はなぜ、心理セラピストの仕事をしないと、死ぬ時に後悔すると思うのか。

なぜかはよくわからないけれど、
いつからか、
それは絶対にそう確信しています。


数年前、乳癌検診で再検査となった時、すっごく怖くて、
もし検査結果が何ともなく、生きられるのであれば、
あなたはまだセラピストとしての仕事をしていないからやりなさいってことだ。
そんな風に思って再検査を受けました。

そして、幸いなことに検査結果は異常なし。

よかった。
生きられる。
やっぱり、セラピストやりなさいってことなんですね。

そう思いました。


その時から今日まで、三年くらいたってしまいましたが(^^;;


そもそもなぜ心の事や心理学に興味を持ったのか。


それは、父と姉の病気と死があったから。



というブログで、以前少し書きましたが、
父は躁鬱病で長年病院に通い、最後は病院で自殺しました。


その後、姉も同じように躁鬱病になり、
父の事もあったから、
死なないように頑張るって言って本当に頑張っていたけれど、自殺しました。




悲しかった。
そんな一言では言い表せない、
深い悲しみ。



そんな風に命を落とさなくても、
自分を大切に感じて、周りの人と助け合いながら楽しみながら、元気に生きていける世の中にしたい
そういう思いが、やっぱり私の根底にあります。


いや、それよりも、
私みたいに、家族が自殺した悲しみを味わってほしくない。
その感覚が近いかな。
そんな悲しみを感じる人をなくすための何かができたら。


そんな思いがあります。


深く病んでしまう前に、
誰かに相談したり、心から安心して話ができる場の選択肢が増えたらいいと思うからです。


大切な友人であり、
ビリーフチェンジセラピーやその他、私のセラピーセッションをしてもらって、すごくお世話になった
彼がFacebookに投稿されていた、亡くなった大切な友人の事を書いた文章を読んだら、何だか胸がザワザワして姉のことを思い出して泣けてきました。


それで、今日のこのブログを書こうと思いました。



人ってこんなにあっけなく死んでしまうんだと思いました。
命ってなくなるんだって。


本当は、死なない選択ができるなら、
死にたくなんかなかったと思う。



姉との会話の中で、精神状態がどんな感覚なのかということを時々聞いていたので
その苦しさがなんとなく想像できます。


死ぬのが怖くて、いつも死にたくなるのがこわくて、だけど、出口の見えないトンネルの中にずっといるのがものすごく怖くて苦しそうでした。


なかなか人には理解してもらえない、説明できない苦しさ。


精神科にも通って、病院のカウンセリングを受けたり、思いを共有しあう会にも参加したり、薬もいっぱい飲んで治療していても、なかなか治らなかった。


自分の腕にカミソリをあてて血が出るのを見たり感じたりする方が、今、ここの感覚を感じられる。と言っていました。
捉えようのない苦しみから一瞬解放される感覚なのかなと想像して、
想像しただけで胸が苦しく感じました。


私にはわからない、ものすごい苦しみだったと思います。


だから、姉が亡くなった時に、死のショックと悲しみを感じつつ、
正直、あの苦しみから解放されて本当に良かったね、楽になったねと思ったのが、私の本音です。
すごく冷たく聞こえるかもしれないけど。
そう思わないとやっていられなかったからかな。



躁鬱の状態は、本人だけでなく、
家族もつらいです。



何をしたら効果があるということもなく、
わからないし、
救うことも代わることもできないし、
だけど辛いのはわかるし、ひしひしと感じる。



けれど、精神が不安定な状態に巻き込まれるとこちらも参ってしまう。



だから、開き直るというか、
気持ちを断ち切るしか自分を守れない。


けれど、そんな自分に無意識に罪悪感を感じている。


そんな状態。


最近、ビリーフチェンジセラピーを受けて、
私がなぜか選んできた不幸が前提の人生脚本はいらないよね、
なんでそんな風に思ってたんだろう

と、気持ちが変わってきたけれど、

不幸が前提の脚本って、そりゃあ思うよ。

だって、今まで、家族の中でつらくて悲しいことがいっぱいいっぱいあったんだから!


ふとそれを思い出しました。


それをやっと、深く感じられるようになったんだと感じます。
家族の死から何年かたって、感覚が戻ってきたのだと。


直後は、ちゃんと悲しむことなんて、きついです。無理です。
悲しみを感じないように身体が守ってる。
そういう状態ってあると思う。


今までもそれなりに悲しみを感じていた感覚だったけど、
今、ものすごく深く悲しい。


父との気持ちの別れは、
ビリーフチェンジのセッションで扱ってもらったけど、
姉の事を充分悲しむのは、まだ終わってなかったんだと、今、その未完了の感情を見つけました。


お姉ちゃんが亡くなって、悲しかった。
本当に悲しかった。
大嫌いだったところもあるけど、
たった1人の大事な大好きなお姉ちゃん。

私が産まれた時からずっと一緒に過ごしてきたのに、
いなくなってしまった。


しかも、死にたくなかっただろうに。


お姉ちゃんが亡くなって私は悲しかった。
私を守って可愛がってくれたお姉ちゃんがいなくなって悲しかった。


数年前、チャネリングができるヒーラーさんにメッセージを聞いてもらったら、
姉も父も、
私が二人のことを気にしている状態を心配してると言われた。
どうだったんだろう、とか、もう考えなくていいから
自分の幸せを考えたらいいんだよと。


そのセッションを、母と妹と三人で受けて、自宅に帰ってきたら
ものすごく大きな虹がでた。


ヒーラーさんから、
これでちゃんと上にあがりましたね。
安心して喜んでますよ。と言われた。

あぁ、良かったなと安心した。


だから、気持ちの中ではちゃんと区切りがついてた感覚だったけど、
悲しい気持ちがまだいっぱい見えないところに固まって隠れていたみたい。


じわっとゆるんで湧いてきた。


本当に悲しかったなぁ。
いやだったし、悔しかった。
納得いかなかった。

なんで家族がこんな風に亡くならなきゃいけないのか。
何かの償いのために、
2人が犠牲になってくれたような気もした。


こんな風に別れるのはいやだ。
悲しい。
けど、どうしようもない。

だから、そういう人生を、
一生懸命生きた2人を尊重します。


2人の分もパワフルに楽しく幸せな人生を生きます。


感情は、感じると解放されるのだそうです。
なかったことにはできなくて、
関節とかに、固まっているそうです。

もし固めて頑張って抑えてきた人でも、
感じられるように少しずつ微細な身体の感覚に気づいていくと、
だんたん感じられるようになるし、
いつでも自分の感覚をキャッチできるようになる。
抑えないで、湧いてきた感覚に素直になると、すごく楽になります。

怒りも悲しみも怖さも喜びも、
全部必要な感情で、
ちゃんと感じることが大事。


私は怒りや深い悲しみを、今まで頑張って固めてきたんだなぁと思う。
私をある意味守るためにやってきてくれた身体の無意識の反応。
今までありがとう。

もい抑えないで、自分の感覚に敏感になります。


罪悪感も感じてきたけど
それも手放します。

私は幸せになっていい。


読んでくださってありがとうございます。