自分が悪いとわかっていても謝れない人とは | 我に返ると 六十路

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考えると 1年間をたったの60回、60回しか生きてなかったし。
あーもったいないもったいない。もっと面白い事探さなきゃわははは

謝れない人、手をあげてください

は〜いあんぐり(私です)

という訳で何故謝れないのか

下記コラムを読んでみてください

 

● 謝れない人の共通点

 世の中には、謝れない人がいますよね。

自分が悪いとわかっていても謝れない人がいます。

そういう人は、おそらく自分が間違っていることを

認めるのが恥ずかしいとか悔しいという気持ちから、

謝れないのだと思います。

 漠然と、自分のプライドが傷つくのを恐れて謝れないのでしょう。

 

● 「よいプライド」 「悪いプライド」の決定的な違い

 しかし、よく考えてみると、

自分の非を認められないというのは、

逆にもっと恥ずかしいことなんですね。

本当の意味でプライドがある人なら、

自分の非を見つけたらどんな立場の人でもちゃんと謝れるはずです。

 プライドというものを狭い意味でとらえると、

謝るのは恥ずかしいとか非を認めたら負けという発想になってしまいます。

しかし、それは違うのです。

 本当のプライドとは、非を認めて、

間違っていることは素直に謝り、そして改善していくこと。

自分自身をちゃんと見つめることができることを

プライドにしてはどうでしょうか。

 

● 本当にプライドが ある人の行動とは?

 正しいことをちゃんと貫き、自分が納得したことは納得してやり、

自分が間違っていたらちゃんと認めて謝る。

これができる人、自分の等身大を見つめられる人、

そして飾ることなく自分を出せる人こそが、

本当にプライドのある人だと思います。

 そう考えると、むしろ素直に謝ることのほうが、

よほどプライドのある人の行動なのです。

謝ることは、恥ずかしくもなんともありません。

 自分が間違っていると思ったときに、

素直に、どんな立場であっても謝るということです。

そこから先、それを改善し、より誇り高い自分になるための一段階なのです。

 

● 「よい謝罪」「悪い謝罪」 その決定的な違い

 ただし、やってはいけないのは、

悪いかどうかもわからずにひたすら謝って、

単に卑屈になってしまうことです。

何が悪いのかわからないまま謝ってしまうのは、

プライドのない行為だと思います。

 つまり、謝る謝らないがプライドに直結するわけではありません。

自分のありのままを認めて、自分が正しいと思ったことを貫けること、

それがプライドなのだと考えてみてはいかがでしょうか。

 そして、そんな人が周りにいて、アナタの話を聞いてくれそうなら、

今回お話ししたようなことをチラッと伝えてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

 

『精神科医Tomyが教える 30代を悩まず生きる言葉』(ダイヤモンド社)より1部抜粋

ダイヤモンド・オンライン

 

過ちを謝罪するのは当たり前。

と実行できるのは精神的にバランスが取れている状態であろうか。

そして 自分を俯瞰できる精神状態であろうか。

 

まだまだ道は長い・・・

 

?俯瞰できるところまでいけるだろうか。