周りを見すぎると
なんだか辛くなるのは
人と比較して自分が足りないように
感じてしまうからかな。

焦ったり
辛くなったり
悲しくなったら
立ち止まって足元を見る。

ちゃんと立ってるのだから
大丈夫。
ちゃんと生きてるから
大丈夫。

人は人。
わたしはわたし。

今日の積み重ねが
わたしの人生なのだから
焦らず
腐らず
ひとつひとつ丁寧に。

わたしの心地いいのが
なによりも大切なのだから
できなくてもいい。

丁寧にするところ
手抜きをするところ
それもわたしの自由だから。

苦しくなったら
のんびりお茶でも飲もう。


とても素敵な装いも
その場に相応しくないものであったら
とたんに品のないものになる。

その場の雰囲気とは
部屋だけが構成するのではなく
そこにいる人も重要なパーツ。

見てみて!私素敵でしょ!と
ひとりよがりな装いは美しくない。

逆に
「私なんかが」と
身なりがおざなりになるのも
謙虚に見せているだけで失礼だ。

周りと、自分に。

その場に相応しく装うこと
その場に相応しく振る舞うこと
それが思いやりであると
私は思う。

美人はやるもの、なのだ。
それが周りと自分への礼儀。



二回りくらい下の子に
「普通、こうですよね?!」
って言われたことがある。

そうなんだ〜、と受け流したけれど
「普通」って怖い。

私で言えば45年の中で経験したこと
それの共通項が「普通」となる。
私にとってのね。

その子で言えば20年くらいかな。

いずれ、その程度なのよね。
「普通」って。

環境によって違う。
成り立ちによって違う。
受け取り方によって違う。

そんなあやふやなものが
絶対的正義のように君臨してるなんて
世の中息苦しいはずだ。

だから「普通は」じゃなくって
「わたしは」でいいんじゃないかな。

お互いの「わたしは」を尊重できる
そんな余裕あるひとで在りたい。