許すというのは難しいかも知れないけれど
なるべく全てを許せるように。
訴える事もなく
私の中で浄化出来るように
なるべく、なるべく、穏やかにありたい。
そんな風に思っています。
だけど怒りって感情は
時々コントロールできなくなって
色んなものを壊してしまうような気がします。
私は時々ギュンッと
怒ってしまうことがあって
そうゆう自分を直したいなと、
つねづね考えて、
はーー!?
って時もなるべく笑い飛ばすようにしています。
なのに、、
今年に入って2度も怒った。
1回目は
横柄な態度をとる歯医者さん。
たまたま目の前にいた、
介護士さんや利用者さんに対する態度が許せなかった。
すかさず、
「それないんじゃないですか?」
と言うと
今度は私をバカにした言い方や態度に腹が立ちました。
サービス業も満足に出来ないくせに、
このオタンコナス医者め!!
という言葉たちを飲み込んで
私は酷くイライラしていると
しばらくして私に謝ってきたのでした。
「私に謝らないでください。」
『いえ、僕失礼な態度をしたので。すみませんでした。』
「あ、いえ。私も失礼な態度を。申し訳ありませんでした。」
...。
小学校の時
クラスのいじめっ子が
私の上履きを池に投げて汚れたことがありました。
私はすかさず泣いたから
先生はそれをやったいじめっ子に
『あやまりなさいっ!』
と怒鳴って、
彼はしぶしぶ私に
ごめんなさい
というのでした。
私はとても嫌だったけど
ありゃずるい。
先生ずるいよ。
私は許すしかないじゃないの。
だから私は
「もう、いいよ。」
と、言った。
この「もう、いいよ。」
の裏には
「ヤダけどいいよ」
が含まれているわけなのですが、
残酷なのはその後で
『○○君も謝ったから、佐藤さんも謝って。』
と、先生が言ってきて
私は酷い違和感を抱きながらも
「私もごめん」
と、言ってしまうのでした。
いやいや、絶対いじめっ子が悪いでしょ。
絶対絶対絶対私は悪くないでしょ!
わかっているのに、
謝らせた先生にもげんなりしたけど
何よりも
違和感を抱きながらも謝ってしまった自分に腹が立ったのでした。
そんなわけで、
「やだけどいいよ」
と、許せた思いに新たな怒りの感情が上書きされるのでした。
おい佐藤よ!
ちゃうやろ!
とね。
後日いじめっ子が、
終業式の後、私を通せんぼして、私の荷物を取ったりするので
持っていた紙粘土の工作物で攻撃してやっつけた後、
その場で泣きじゃくる彼に対して
「ごめんね!」
と、私は謝ったとき、
やっと今までのことを許すことが出来たのでした。
ちなみにその後彼からいじめられることはなかったのでした*
人は学ぶし成長し変化するという様ですね(笑)
怒りと謝罪はセットにあったほうが良いのですね。
歯科医師と私のやりとりも
なんだこのやり取り、、と違和感を抱きながらも
怒りと謝罪がセットにあることで
中和され許せて
私はすぐに忘れてしまうのでした。
そして今年の怒り、もう1つは
人とご飯をしているときに
ご一緒していた方が、突然私の大切なファンの方に対して
バカにするような言い方や発言をされて
酷く酷く酷く腹が立ったのでした。
私はすかさず言った言葉は
「私の大切なファンの方をそんな風に言うのは、今後二度とないようにしてください」
その人は
『分かりました』
と言っていました。
私は謝られなかったし
私は謝っていないからか
思い出しては心をざわつかせるのでした。
その方の心に響いたかは分からないけど
やっぱり
怒りって感情は
あって得するもんじゃないなぁと。
私は更に心をざわつかせるのでした。
『ごめんなさい。サトウさんのファンの方を悪く言って、嫌な思いをさせてすみません。』
そんなやり取りがあったら
あのざわつきも
少しは軽減されたかな。
許せる自分を。
守りたいもののために。
許せる自分を。