腐考の至り」リセット 腐考から冨幸に 

  捕まった!
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昨日は仕事が休みで簡単な記事を書き、

以前から頼まれていた

次女の空き地の草刈に。

こ一時間ほどで気持ちのよい汗をかき、

娘親子とカミさんと共に汗だくのまま

ファミレスで昼食を摂り

一旦娘の家に帰ってから

鬼孫の大好きな“大きなお風呂”

日帰り温泉に行く。


その帰り道・・・

娘と別れ機嫌よく走っていた。


広々とした山道、

対向車もなく誰もパッシングをしてくれなかった。

旗を持ったオマワリが突然目の前に、

たいしてスピードを出していないつもりだった、

が、

ふと横のカミさんを見るとシートベルトをしていない。

てっきりシートベルトの取り締まりだと

思ったのだがスピード違反。

19Kオーバー、

制限速度が40Kだったのだ。

よくある話し・・・


昨日の記事の続きに戻るが、

27年前に買ったテントの価格は

当時5万円ほどだったがすでに元はとってある、

あちこちが傷み補修だらけだ。


それにしても大きなテントで、

娘たちに時々手伝わせながらも

唯一人での組み立てに

一時間以上もかかる代物だった。


そして行く先はいつも海ばかり、

山間部に住んでいるので

川や野山はとりたてて行きたくもない。
しかし、

炎天下でテントを一人で組み立て

炊事道具を運ぶシンドさ、

当然一泊ではすまなくなる。

撤収の疲れも考えると二泊か三泊、

これが20年近くも続いただろうか? 

私が30才そこそこから

数年前までのの夏の恒例行事だった。


子供が小さい頃は

私たち夫婦も若かったので体力もあり、

子供たちの手助けが無くとも

苦などなく楽しんでいたように思う。
テントを張り終えてから、

一度海に入り汗を流してから

持っていった鮎やアマゴ、焼肉の

バーベキューの用意、

すべて私一人がやっていた。


そして二日目の夜半に起きだして、

私は一人で一時間ほど走った所にある

チヌ釣り筏に行く。

朝から夕方までカミさんが

4人の子供の面倒を一人で見ていた。


この頃は、

私は毎週同じところに釣行していたので

他の人は釣れなくとも

必ず夕餉に使う魚を持ち帰っていた。
いつもより早めに筏をあがって

5時頃にはテント村に帰り、

鯛の刺身に塩焼き、

時たま外道であがった

真ダコを湯がいたりヒラメの造り。


テント村の炊事場で調理をしていると

周りに人が集まってきて

みんなが驚いていたものだ。

「こんなのどこで釣ってきたんですか?」
「はぁ、そこで・・・」

私はわざと何処でも簡単に釣れるように

さりげなく言う。

「お父さんも釣ってきて!」

被害者は周りでテントを張っている

ダンナ達だった。


当然我々だけでは食べきれずに

周りの人たちにおすそ分けをしたものだ。
そのうちに娘たちが結婚をして孫ができる、

孫たちが二才を過ぎたころから

連れて行きだしただろうか? 

家族が増えてくる、

が奴等は何もしない・・・

いつまでもお客さんだ、

私とカミさんが段取りも炊事もするのが

当然だと思っている。

しかしモウ、

疲れには行きたくない・・・

ここまで読んでくださりありがとうございます

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