腐考の至り」リセット 腐考から冨幸に
お盆休みとキャンプ
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私はもともとアウトドァ派で、
海、山、川で若いころから遊んでいる。
子供は年子で一男三女だ,
3番目の子供が長男なのだが、
この唯一の男の子。
生まれて二日目だったかに
このままでは成人するまで
生きられないと宣告された。
心室中核欠損症という病名だった。
30年以上たった現在の医学では、
そんなに難しい病気ではないのだろうが
当時は大変な難病だった。
生まれてすぐに手術をしなければ
生きながらえられない、
だが小さな子供ではそんな大手術に
耐えられるだけの体力がない・・・
誕生後、
しばらくは保育器に入れられ
かなり長い間入院をしていた。
退院後も週に二日の市民病院への通院、
国立の子供病院にも週に一度の通院。
当時は今の理容業でなく
スナック経営の
夜の仕事だったので続けられたのだ。
だがこのような状態では
他にも三人の姉妹がいて
家での子育てもできず、
早いうちから保育所のお世話になった。
保育所の保母さんも感心するぐらい
賢い子供だった、
他の子供たちと遊んでいても
動悸や息切れがしかけると自分で休み、
体の負担になるような遊びは一切しなかった。
それほど気をつけていても体力がないので
「コホン!」
と咳をすれば即肺炎、
その上に慢性腎炎までを併発をして
5歳までの半分ほどは入院生活だったろうか?
それでもなんとか年月が経ち、
幼稚園にあがる前にこども病院で手術をした。
息子の前に手術をした児は
心臓の付近にある
目にも見えない神経をひっかけられ
植物人間状態になっていた・・・
手術前には、
当然それほどの危険性があると説明を受け、
同意書にサインをする・・・
このあたりの様子は拘束日記の
「腐考の至り」に書いた。
八時間にも及ぶ手術だったが、
二十数年経った今元気に仕事をしている。
その一年後ぐらいからだろうか?
息子の体力がみるみる内についてきて
「お盆休みはキャンプ」が定番になったのは。
この頃から今の理容業を再開して
生活のサイクルが変わっていた。
当時の通信販売で買ったテントは10人用、
6畳間の広さで大きなものだった。
まだ三角テントが主流の時代で
今のような“コ洒落た”
ものは少なく小さなものでも
高価な時代だった。
ここまで読んでくださりありがとうございます
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