「腐考の至り」リセット 腐考から冨幸に
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる
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「あした(朝)には、
こうがん(紅顔)ありて夕べには
はっこつ(白骨)となる。
この世の中のことは、
みなはかなくて定まることなく、
人間の生き死になど
到底予測できないということ。
朝に健康そうな血色がい顔をしていた人が、
夕方には白骨と化してしまう」
白骨の御文章の一節だ。
言葉だけではないが、
人間誰しも聞いた時の
自分の精神状態で受け取り方が変わってくる。
この言葉などは、
その典型的なものだと思う。
自分の親や子供、
連れ合いなどの近親者が亡くなり
嘆き悲しんでいる時にこの言葉を聞く・・・
そのときに説教を説く坊主が
どんな生臭や破戒坊主であっても
心の中にこの言葉は自然に沁みいってくる。
ところが、
付き合いだけで列席するような場では
いかに徳の高い、
高そうなお坊さんの説教であっても
居眠りをしながら聴いている。
私が最初に、
この御文章に涙ぐんだのは
祖父が亡くなった時、
私は十八才だった。
その五年ほど前にも
伯母の法事で耳にしていたはずなのだが
憶えが無い。
次いでしみじみと心の中に
沁みこんできたのは父が亡くなった時だ、
私がまだ23才の時で
それまで毛嫌いをしていた父と
やっと晩酌の付き合いができて
仲良くなってきた頃に、
いくら起こそうとしても高鼾が止まらず、
慌てて医者を呼んだのだが
心不全で亡くなった。
あっという間の出来事だった、
祖父の時と違いそれからしばらくは
法事でこのご文章を聞く度に涙したものだ。
その後に他家の法事に行って、
聞いても涙した事はない。
そんな時、
前のほうの様子を伺うと
故人と繋がりの深かった人はやはり涙している。
先日、
ホームセンターへカミさんと行っている時に
友人に出会った、
私が留置場にいる時、
精神状態が不安定な時に
面会に来てくれた人だ、
礼状と詫び状は出していたが
一年ぶりに出会ったのだ。
お決まりのお礼を述べたのだが・・・
一年前に帰ってきた時には、
誰と出会っても感情がこみ上げてきて
涙したものだが・・・
とりたてて、
こみあげるものもなく礼が言えた。
さて、
これは良いのやら悪いのやら・・・
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
でなければ良いのだが・・・
ここまで読んでくださりありがとうございます
腐考のオッサン、再生装置
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