「腐考の至り」リセット そんなん わかるかい!
多芸は無芸 ページ213
私は最近まで大きな勘違いをしていた。
自分で云うのもなんだが、
私は“多芸多才”
だと思っていた。
カミさんがよく、
「アンタの場合、
それは器用貧乏と言うんや!」
と言っていたのだが、
「バカッタレ!
ワシの場合は“多芸多才、
一芸に秀でるものは
多芸に通じると云うやろうが!」
自分勝手な解釈だった・・・
元々、
技術を持って仕事をする職人でもあるし、
木を切ってきてタモ枠を拵えて
オークションで売ったり、
筏のチヌ釣りでも
他に例をみない名人だと思っていた。
家では、コンクリートブロックを積んで
台所やトイレ風呂場などを造り、
タイル貼りまでこなした、
日曜大工の域を超えていた。
ひとは、
「何でも出来るんやなぁ~、
器用なモンや!」
(●´ω`●)ゞ
何度賞賛の声を聞いただろう。
他にも得意な事を上げれば
枚挙にいとまがない。
「い~や、
たいした事はない。」
と言いながらも本心では、
「ワシは何でも出来るんじゃ!」
と思っていた。
だが人間窮して、
落ちる所まで落ちると
モノの見方が変わってくるものだ。
幸い(●´ω`●)ゞ?
私は自分を見直す機会を得た、
そこで見えてきたものは・・・
このブログでも色々と綴ってきたのだが・・・
私自身をみて、
私の多芸多才が
“多芸は無芸”
に変わってきた、
それを“器用貧乏人宝”や
“なんでも来いに名人なし”
ともいうらしい。
最近知った。
昔の元気の良かった時の私ではなく、
今の私には後者のほうが
自分自身の評価に対し
説得力があり納得もできる。
ナマクラではいけないのだ、
“一芸に秀でるもの・・・”
には当然、努力がいる、
素質だけではなれないのだ。
そして努力が出来る人間は、
その結果として
多芸に通じる事が出来る。
私にはもう遅いだろうが
少しはできるのだろうか?
色んなページを拝見していて思うのだが、
グチばかりを綴る若い人達には
私からみても努力が足りないようだ。
勉学一つにしても一緒だ、
先日の秋葉原の事件の青年も
私自身とオーバーラップをする。
私も小学生の頃の成績は体育と
音楽以外は5段階評価でオール5だった、
そして私立中学に入ると上の下、
高校に進学した途端に中になり、
成績は下がる一方で末は非行・・・
余り努力をしなかったので
成績が落ちていくのは当然だ。
水戸黄門の主題歌、
“♪あ~とから来た~のに
追~い越され!”
私の人生そのまんま、
それから先は挫折、
挫折の人生だ。
しかし、
その後の文句、
楽あれば苦あり、
苦あれば楽あり・・・
私の楽の種がボチボチ芽を出す頃だ・・・
と思おう・・・
ここまで読んでくださりありがとうございます
腐考のオッサン、再生装置
ポチッ![]()
オネガイ
・・・・・一日に一度ポチッとな![]()