みなさん、こんにちは。 

城本クリニック横浜院院長 野中大樹です。   

 

続きです。

 

医師国家試験は、大学入試などに比べるとみんなで一緒に協力しながら学んでいけるので、全然大変だとは思いませんでした。

覚える量は半端なかったですが、他の人が知ってるところは絶対覚えるようにして、みんなが間違えるような問題は別に解けなくてもいいんだと解釈するような勉強方法で何とかやっていけました。自宅で勉強しながら、最後の方は大学の図書館が夜中まで開いていたので、何人かで一緒になって勉強していました。

あとは、当時付き合っていた彼女が某私大の同級生で、私大特有の「国試対策資料」をFAXで送ってくれていたのも助かりました。

理解の仕方や覚え方、また国試に必要なのかどうかというところもある程度載っていたので、更に絞った勉強ができました。

今彼女はどこで何をしているのか全く分かりませんが感謝しています(笑)

卒業試験は、国立だからか何なのか、あまり国試向けの問題を出す科は多くなく、眼科なんて全て英語の試験。その年に長崎大学から教授になって来た先生が若くてイキのいい先生で(長崎大学でも学生の評判はあまり良くなったとのこと笑)、過去問なんて当然ないわ眼科なんてマイナーだから国試でほとんど出ないわで、私もあまり勉強することなく臨んだ結果不合格・・・

再試が年明け一発目にあることで、その年は年明けを同じ不合格の友達と大学の図書館で迎えました笑

まあ何とか再試で救ってくれたのでありがたかったですけどね。

国試会場は、島根医科大学は広島(東広島)でした。前日にみんなで広島市内のホテルに行き、当日朝にみんなでバスで東広島の試験会場へ。終わってまた広島市内のホテルに行き、翌日もまたみんなでバスで試験会場に行き、2日間の試験期間を終えました。

試験対策委員が夜中までどんどん予想問題?をドアの隙間から入れてくるので、もう夜中は入れてくれるなということにして睡眠時間に当てました。

私たちの前の代からかな?禁忌肢という問題が出るようになり、D問題の確か20問中、禁忌肢の選択肢を選ぶともれなく不合格という噂が流れていました。

私もD問題の1問、確かαブロッカーかαスティミュレーターかが正解という問題で、ちょっと自信がなかったこともあり、かつ「これ絶対禁忌肢だろ!」って問題に、あえてその選択肢はどちらも選ばず無難な回答をした覚えがあります。まあ1点落とすより禁忌肢を避けたということですね。

国試後に卒業式があり、私は卒業式後に家を引き払いました。

入学式は一人で参加しましたが、卒業式には両親が来てくれたように記憶しています。

 

次に続く