みなさん、こんにちは。

城本クリニック横浜院院長 野中大樹です。

 

続きです。

 

寮生活では、雑音邪念を一切遮断して、ひたすら勉強に取り掛かりました。

代ゼミのチューターに「代ゼミのテキストだけを信じてひたすら解きまくりなさい」と言われことをとにかく実行することにしました。

具体的にはその日にあった授業を徹底的に復習し、翌日の授業の予習を分かる範囲でやっておく。

週末は、もう一度その週の授業の復習をやって、次の週の予習をする。

それをやっていると遊ぶ時間なんて全くないんですね。

たまに日曜日の晴れた昼間に近くの海岸をジョギングする程度で、一日中勉強。

しかも代ゼミのテキスト以外には手を出さず。

夏まではなかなか成績も上がらなかったのですが、チューターに言われたことを信じて、代ゼミを信じて、とにかくテキストを理解し、解けるようになることをずっとやり続けました。

そうこうしていると成績って上がるものなんですね。

徐々に上がって、希望していた医学部を受験する資格は取れそうかってくらいにまでなりましたが、ただしギリギリのライン。

センター試験を受けて、680/800。8割5分ですね。

当時のC日程だった岐阜薬科大学は合格していて、最悪薬学部に行ければ御の字だろうと思っていました。

もうこれ以上浪人で勉強するのは不可能と思っていたので、前期は希望していた広島大学医学部から落として山口大学医学部、後期は千葉大学薬学部にしようと考えていました。

いざ受けてみると、山口大学は頼みの数学がなかなかの難易度で点数が取れず不合格。

こりゃ、もう薬学部だなと思っていたところに、チューターから「受かりそうな医学部を探すから医学部を諦めないように」と言ってもらい、何箇所か探してもらう中に島根医科大学があったのです。

他にも東北地区、四国地区、九州地区に何校かあったのですが、九州から出たかったという思いと、本州だったらどこでもいいという思いで島根に決めました。

島根?幼い頃に家族旅行で出雲大社に行ったような記憶が僅かにある程度で、全くノーマークでした(笑)

倍率は9倍とかだったように思います。教室に座っていた時に、「この周りの連中を落としてようやく合格か」と思った記憶がありますので。

受験は確か小論文と面接でしたが、小論文の内容は全く覚えておらず。

面接は山口大学の面接の時に

「新聞をよく読みます」と言ったところ

「では最近の医療で印象に残っていることがあったら教えてください」

と言われて全く上手に答えられなかったトラウマがありましたので心配していましたが、

島根ではそんなことにはならず、最後に「ぜひうちの大学に入って医学を学んでください」と、後から思えば心理学のみどりちゃんに言われたことを覚えています。

 

次に続く