みなさん、こんにちは。

城本クリニック横浜院院長 野中大樹です。

 

このたびの令和6年能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

被害を受けられた皆様の安全と一日でも早く平穏な生活に戻られますことを心よりお祈り申し上げます。

 

年始早々の出来事で、いつ何時我が身にもと思い知らされ、かつ半世紀生きてきたことで思うことを自叙伝的に書いていこうと思いました。

連載的に書いていきますので、お暇な時にでもお付き合い頂きますと幸いです。

 

何から書き始めようかと思いましたが、やはり今現在に至る過程で非常に重要なことは何かを考えますと「医学部入学」だと思いましたので、そのあたりからのんびり書いていきます。

 

私は平成4年3月に福岡県立東筑高校を卒業しました。

第90期にあたります。

かなり歴史と伝統のある高校で、同級生は現役で九州大学や他の旧帝大、医学部や難関私大と進学していく中、私は国立前期の北海道大学理学部化学科を受験しました。

なぜ北海道大学?←北海道に行きたかったから

なぜ理学部化学科?←高校の授業の化学が好きで、特に高分子化学に興味があったから

こんな理由でよく北海道まで受験させてくれたなと今となって思います。

自分が親だったら「アホか!」と一蹴していたかも

結局現役時は、このまま大学生になったらろくな人間にならないと考え、国立前期のみの受験とし、ほぼ浪人確定の気持ちでいました。

しかも北大受験会場が代々木ゼミナール札幌校という、なんとも意味深な・・・

案の定不合格でそのまま浪人確定。

その流れで、代々木ゼミナール福岡校に入校しました。

一番近いのは小倉校だったのですが、知り合いがたくさんいるところでは自分は多分ダメだろうと。

誰も知り合いがいないところで、見栄もプライドも捨ててやらないと成績も上がらないだろうと思い、親に泣きついて寮生活をさせてもらいました。

 

次に続く