外はあんまりまだ、台風が来ている様には思えません、
まだまだこれからなのかな、
岐阜は結構、何時も思ったより大丈夫なことが多く、油断しがちなので、気をつけなければ。
ハセです。

入院中は、入って最初のうちは、検査、検査の毎日ですが、一通り検査終わって、有る程度治療法が決まれば、ほぼやることもなく、
決まった時間に体温測ったり、回診があったりするだけ、退屈な日々、ましてや自覚症状もなく、自分の病気の重大さなど分からなくて、
学校へ行かなくてもいいことを、単純に喜んだり、漫画読んだり、プラモデル作ったり、遊んで暮らしてた(子供だからね)
おばあちゃんも、毎日いてくれるし、

そんなある日、一度目のショクなできごとが...
母が来た時(一週間に、2日ぐらい来てた)
「弘樹(僕の名前)、名字が変わるから、明日から長谷川、弘樹ってなるからね」って
「それとお父さん、仕事で遠くへ行くから、しばらく来れないから」と、今から思えば、離婚したと言うことなんだけど、その当時、離婚なんてこと、解らないし、名前が変わった事、特にお父さんに暫く会えないことが寂しくて、悲しかった、
あれ?おかしい、こうして書いていると、こんなおっさんになったのに、当時の思いがよみがえって来て、切なくて涙が出てくる...
嘘じゃなくて、ホントに、
当時は、寂しかったけど、なぜか泣いちゃダメだと思い泣かなかったのを覚えてる。

離婚の理由、だいぶ大人になってから聞きました。
当時、ネフローゼと言う病気、まだ難病として認められてなく、僕が入院費が結構な額で、両親の収入では払って行けなかった、
ならばいっその事、母子家庭になれば色んな手当、免除が受けられて、その方が楽だった、と言うことでした。
ただ、たまに役場の人が、本当に離婚して、一人で母が居るかどうかを、抜き打ち的にチェックしに来るので、父と、ほんとに離れて暮らしてたらしい、
今は、「治らない病気」と言うことで、国から補助も出るらしいけど、ちゃんと調べてないので...

凄いね、自己開示。
こうして書いて行くと、忘れたはずの当時の気持ちが、こうして出てくるんだ、自分の中の未完了の思い、今日一つで出来ました、
                 「お父さんに、逢えなくてさびしい」...



今日は、このへんで...
台風、来るのかな?

ハセでした。