ちょうど…1年前の2011年3月11日、東日本大震災が起きた日。

あの大地震は被災地に地震だけでなく、大津波や原子力の汚染問題など…まだまだ再建と復興しきれない爪痕を残しています。
この場で口や文でこういう風に表すのは…軽々しいと思われたり、不快だと思われるまた、不謹慎だと思われる方々には本当に申し訳ございません。

誠に勝手ながら…自分が1年前のこの出来事の日に感じた事を見た物をこの場で振り返ってみようと思います。



2011年3月11日…この日は…去年の養成所のクラスの数日前のとあるレッスンで写真を撮っていて、記念にみんなに渡したいからと…焼いた全員分の写真を引き取りに養成所に行ってました。
場所は新宿という東京都の都心です。
引き取りをしてから…時間帯的にお昼を食べてなかったので、お昼を食べてから帰ろうとお昼を食べていた中、地震が起き、周りがいつにもない強い揺れで慌てており、お店の人に建物の古さとかを確認し、外に出てみれば…いつものある程度静かで賑やかな都心の街なみでなく、人々が慌て怯え、中にはパニックで泣く人もいる街なみになってました。
そんな中、家電量販店のテレビ売り場のテレビで地震の情報を知り、電車が止まったのも確認し、とりあえず…俺はその場で止まらず、養成所関連の安否及び極力知り合いがいる場所にいた方がいいと思い、看板やガラスがいつ落ちるかわからない中、養成所に向かいました。
養成所の前ではやはり、みんな外に出てました…戻ったら、「お前のせいで地震が起きたんだろう!?」とか半分からかいのような冗談にならない事言われましたけどね。
好意で養成所に止まらせてもらい、自分のできる範囲で友達や当時の養成所のクラスメイトにメールで生存報告及び安否確認を促すメールやワンセグでの現状把握をしてました。
メールが出来ない親には公衆電話で安否確認を。
養成所の研修生の中には俺以外にも帰れない人達も多くいましたが…あの時、みんなたくましかったな…あの時、ライフラインが生きていたのとコンビニとかに多少、食料があったのが救いがあったので。
それから運良く…23時くらい帰れる距離までの電車が動き、動いてる以上は長いできないので夜中には無事に帰れましたが…帰りの電車ではパニック障害の症状で死ぬんではないかと息苦しい状態が発生してましたが…皆の報告がどこかで励みになっていたと感じます。

被災地の一日でも早い復興を願います