何かあるたび海を見に行くやつだった


振られた日も

仕事をなくした日も

笑ってるくせに、たぶん全然笑えてなかった日も


「海、行こうぜ」


そう言われるたび、俺は車を出す

話を聞くためじゃない

あいつが落ち着くために

その隣にいるために


友情って、もっと派手なものだと思ってた

肩を組むとか

熱い言葉をぶつけるとか

でも違ったみたい


ほんとうの友達は言葉が思いつかない時に

ただ一緒にいてくれる




ある夜、電話が来た


「今、北谷」


それだけで嫌な予感がした

海沿いの堤防に着くと、あいつはテトラポッドの端に座っていた


隣に座る

何も言わない

平静を保とうとして

潮の匂いっていつもエモいなあなんて思ったりする


しばらくして、あいつが言う


「なんで来るわけ」


「呼んだからだろ」


「それだけ?」


「それだけだよーん」


あいつは海を見たまま、少し笑ってそれからやっと本音を落とした


「俺さ、ちゃんと終わりたかったんだよ。

でも、お前が来たらさ、終われなくなる」


ずるい言い方だと思った

でもそれが助けてってことだったんだ、多分


「お前ってさ」

「覚えてる側っぽいよな」

「なんそれ」

「俺が生きてたこと、忘れない側の人間って感じ」


その言葉が嬉しいのか悲しいのかよく分からんかった


友達って、ときどき証人みたい

立派に生きたと、ただ証明する人じゃない

情けなくゆらゆら揺れて、格好悪くとぼとぼ迷って、それでも確かにここにいた、という事を覚えてくれてる他人



「なんかさ、、、、こわかったわけ」


その一言で

あいつはちゃんと生きていた事が証明された


死にたい、より

こわい、のほうが、ずっと人間だ


帰り道、あいつは助手席で眠った

死にたかった人間の寝顔は妙に静かで、腹が立つほど無防備だった


もし

今日行かなかったら、、、


一緒に何か重い荷物を背負えて良かった、本当に。



潮に濡れたシャツは乾いても塩を置いていく


言葉も、沈黙も、多分そうだ


だから今日も、あいつが言う


「海、行こうぜ」


俺はため息をついて、鍵を取る


海が見たいんじゃない

自分がまだ消えてないか、忘れられてないか確かめたいだけだ


その確認に付き合えるうちは

きっとまだ、友達でいられる








目が覚めて、カーテンの隙間から光が差し込んでくる

それだけで「あ、今日はもう大丈夫かもしれない」と思ってしまうのは

たぶん気のせいだ


でもその気のせいに救われる

特に目的はない

まだ少し時間があるから、ただ歩く

本当にただ歩く

アスファルトの上に、昨日と同じような影が落ちていて、道端の草は昨日よりほんの少しだけ伸びている

それを見て「成長だな」と思うほど人生に余裕はないけど「まあ、そういうもんか」と思えるくらいには、心がゆるんでいる


コンビニで買ったさんぴん茶は冷たいようで、すぐぬるくなる

でも、それが嫌じゃない

ちゃんと暑いってことだし、ちゃんと夏に近づいてるってことだ


なんでもない道を歩いて、なんでもない家の前を通り過ぎて、なんでもない生活の音を聞いて生きている

洗濯物が風に揺れていて、知らない人の笑い声がして、テレビの音が窓越しに少しだけ聞こえる

そのどれもが、自分には関係ないはずなのに、なぜか胸の奥が少しだけ温かくなる


「人って凄いなあ」


その実感が今の自分には必要だった


正直に言うと将来のことは、ずっと不安だ

この仕事を続けていけるのかとか、続けた先に、何が残るのかとか、誰かの人生にちゃんと触れられているのかとか

考え始めると「なんくるないさ」どころじゃなくなる

自分の人生は派手なのか地味なのか、成功しているのか立ち止まっているのか、そんな事はわからない


海は今日も海で、空は今日も空で、自分の焦りなんて見事に無視してくれる


なんでもないとこに行って、なんでもないことで笑って、なんでもない人生に、漠然と不安を抱えながら

それでも今

ここに立っている自分を「悪くないな」と思える瞬間がある


風がふいて

汗をかいて

喉が渇いて

ああ、生きてるなあ。って思う

特別じゃないけど、嘘じゃない

夢を語る日もあれば現実に押しつぶされそうになる日もある


どっちも自分で、どっちも人間で、その間を行った来たりしながら、人は大人になっていく


と思う


こんな瞬間が、ずっと続けばいいのに

そんなことを願うのは、現実逃避かもしれない

甘えかもしれない


でも、その願いが出てくる時点で、もう十分に人間なのかもと思い、ほっとする


何者かにならなくてもいいから

誰かに勝たなくてもいいから

ただ自分の呼吸をちゃんと感じられる時間を失わずにいたい


今日も世界は静かで、俺の不安を、特に慰めることもなく、でも追い払うこともなく、そこにある

それでいい

それがいい


また、なんでもない場所に行こう

また、なんでもないことで笑おう

不安を抱えたままでも

人は、ちゃんと前に進む

きっと






潮の匂いが強すぎる日は人は大事なことを決めない方がいいと、この島の誰かが言っていた気がする。


夕方になると、海は急に口数が減る。

波は一度も同じ形でやって来ない。


彼は堤防に腰を下ろして、スマホを裏返しに置いた。

画面を見れば、遠くにいってしまう未来ばかり想像してしまうから。


風が吹いた。

生ぬるくて、塩辛い。


「待つって、負けることなのかな」


誰に聞くでもなく呟くと遠くで漁船のエンジンが一つ止まった。



それだけだった。



この島では掴みに行ったものほど早く壊れる。

サンゴも、人も、約束も。


だから年寄りたちは言う。

風が変わるまで、立つな、と。


彼は立たなかった。

この気持ちを、胸の奥で小さく畳んで。


捨てもしないし、誰にも差し出しもしない。


潮が引くと、岩の隙間に小さな魚が残る。

急いで拾えば死ぬけれど、水が戻れば勝手に海へ帰っていく。


その夜

彼はまだボタンをおさなかった。

衝動を抑えきっと今じゃないんだと。

ただ、行動しないという自分の選択だけを、静かに守っていた。


島の風は

逃げる人も、待つ人も、

同じ強さで撫でていく。