最近、個人的にハマっているアーティストfhánaが、今週新曲のミュージックビデオを公開した。

この曲を聴き、このところぼんやりと感じていた部分が確信に変わったので、誰のためでもなく自分のために記しておく。

 

つまり、fhánaが目指す音楽性はFusionなのではないか、ということである。

彼らが位置付けられているジャンル「アニメソング」は、我々世代の多くが通った「ビジュアル系」と同じように、音楽性を指すものではない。

通底している音楽性がFusionの雰囲気を醸し出しているのでは、と感じたのは、“Hello! My World!”のライブテイクを聴いた辺りからであった。

 

 

このテイクの、特に後半部における自在なドライブ感は、以前にもどこかで挙げたUNISON SQUARE GARDENの“シュガーソングとビターステップ”や、

 

 

そして、Fusion好きの私にとっては、やはりLee Ritenourの“Captain Fingers”を思い起こさせる。

 

 

ちなみに往年とは遠く隔たったこのテイクにおける凄みは、発表から30年以上経ったオリジナルメンバーが、70年代の収録時と同じ速度に拘って再録したところにある。枯れてペースを落とした円熟味を打ち出しても誰も文句が言えないところ、敢えて当時のペースのために百度と繰り返しプレイしてきた曲を練習し直したというのだから、その心意気たるや一聴の価値どころか、私は10年以上前に録画したDVDを時折引っ張り出しては今でも味わっているくらいである。

 

さて、ようやく本題の新曲“愛のシュプリーム!”。

変なタイトルのアニソンと侮るなかれ、ここにはFusionなどというジャンルさえ存在しなかった、1960年代半ばのジャズにおける自由な世界観が、時代を超えて垣間見えると、私は確信を持っている。

 

 

聴き始めて、ジャンルを超越した楽曲の構想力に感嘆したのはもちろんのこと、最後の「至上の愛」という歌詞まで来て、この一見変わったタイトルは、ジャズからの引用ではないだろうか、と遅まきながら思い出したのが、John Coltraneだった。

 

 

二十歳の頃に触れたものの、あまりの難解さにあまり繰り返しは聴かなかった“A Love Supreme”。

『至上の愛』という和名でのタイトルが、fhánaの歌詞に出てきたという一点から、15年以上前の記憶が繋がるとは、引き出しの奥からよくも出してきたものだと、我ながら感心するとともに、アルバムとして32分強の尺で表現されたものが、70年以上の時を経て今の時代に5分弱に凝縮しているとするなら、時代は進んでいると言って過言ではないのではないか。


一方は西洋音楽の文脈を逸脱しまるでクラシックのように第1~第4章から構成されるジャズ、もう一方はJ-POPの枠組からは進行が読めない最新のアニメ主題歌と、比較する人間の少なかろう2作ではある。

しかし、ざっと見渡しただけでも、次の3点は比較対照の価値があると考えられる。

  1. .Coltraneの章立て「賛美(Psalm)」と対照して、fhánaの歌詞に「さぁ歌おう 讃美歌を」とありMVでも合唱隊が活躍していること
  2. Coltraneではポリリズムと呼ばれる異なるリズムが並行する手法と対照して、fhánaではプログラミングとジャズドラムスのリズムが並行していること
  3. Coltraneが本アルバムを神へ捧げるものとして位置付けていたことと対照して、fhánaの歌詞には所謂ラブソングでは使われないような「君の中に確かにある光」や「未知なるものを認めること」と言った語彙が使われていること
誰も異論さえ差し挟まないような、極論であるからこそ、敢えてブログに残し、いつかの未来に自分がどう感じるかを楽しみにして、筆を置こう。