東日本大震災

このブリグをご覧になっているいる方々はあの日をどのくらい覚えているだろうか。

地震。津波。火災。

東北地方の太平洋沿岸が10mを超える津波で一瞬にして消えた。

「前も来なかったからどうせ今回も来ないだろう」

この間違った判断が多くの命を奪った。

私自身も地震は体験したが津波は体験していない。

東北地方にいたらもしかしたら誤った判断をしていたかもしれない。

それは私にも分からない。

でもテレビで見ていて分かった。

津波は必ず来るものだと思って、逃げる必要があるものだと。

今回は私なりの東日本大震災を思い返す。

 

2011年3月11日 14時46分18秒、宮城県の東南東沖130kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。

地震の規模はマグニチュード9.0で日本周辺における観測史上最大の地震である。

私はこの時まだ小学生だった。

授業もしていた。

ある1人の生徒が「先生!地震!」と叫んだ。

3秒も経たないうちに地震は強くなり、机の下に隠れた。

私はこの時、3階に居た。

揺れはすごかった。

地震がおさまり、職員室からの放送が入るのを待った。

しかし、放送ではなく拡声器を持った先生がきた。

「すぐに荷物を持って校庭に集合しなさい」

私たちはランドセルを持って校庭に出た。

私はその時思った。

「なんで避難訓練の時にはそぐ外に避難したのに、本当に地震が来てもすぐに避難しないんだろう。」

不思議だった。意味ないじゃんと思った。

でも実際は停電で放送が使えなくて先生たちも混乱していたのだ。

 

外に出ると、女子生徒が泣き叫んでいた。

一方男子は「俺地震きた時、鉛筆立てて遊んでたぜ!」と強がってる奴もいた。

でも、外をよく見渡すと、電信柱が傾いていた。

私はこれはただ事ではないと思った。

家に帰ると、部屋がメチャクチャだった。

食器棚に入っていたコップやお皿が割れて、不安定なものは倒れていた。

自分の部屋に関しては積み重ねてあった教科書が床に散乱していた。

そして一番困ったのが、水道、ガス、電気が止まったことだ。

母に「夜ご飯どーする?」と聞かれた。

正直なんでもよかったので、「なんでもいい」と答えた。

すると、母は「カップラーメン食べよう」と言ってきた。

数秒後、「あ、ガス使えないじゃん」って呟いた。

結局、その日はお菓子を食べた。

1人で寝れず、リビングで寝た。

夜中の3時に父が帰ってきた。

コンビニでパンを買ってきてくれた。

朝起きた私は、そのパンを食べた。

そして、父のスマホで衝撃的な事実を知った。

YouTubeにはよく分からない黒い波が家を飲み込んでいた。

津波だ。

母は近くのスーパーに数少ないパンを買いに行った。

 

やがて停電が治り、夜の懐中電灯生活も終わった。

しかし、次に待っていたのは計画停電生活だった。

計画停電中はテレビが見れない。

ドラマのいいシーンで切れた時のショックはいまだに覚えている。

でも、この程度のことなんて大したことない。

東北の人たちはもっと辛い思いをしている。

そう考えたら楽勝だった。

 

東日本大震災から8年。

今の若い世代に何ができるか。

どう幸世にに伝えていくか。

真剣に考えなくてはならない

次、また大きな地震が起きたらメディアはその地震について報道する。

でも、東日本大震災も忘れてはいけない。

日本は四つのプレートを持つ地震大国。

それを忘れてはいけない。

過去の地震も忘れてはいけない。

そして、東日本大震災で学んだことを次へ活かさなくてはならない。

首都直下型地震。南海トラフ巨大地震。

我々には次の地震が待っている。

日本人はを大切にして乗り越える。

 

被災者の分まで今を全力で生きよう!

そう思って我々は生活していかなければならない。

 

さぁ、今日も頑張ろう!