遠く離れた国に住んでいる私は、
日本に帰国する度に「これが最後になるかもしれない」と覚悟はしていた。
でも、やっぱりその日は突然にやってきた。
10月は娘の学校が休みなので、1度は家族で旅行に行こうと言っていて、
10月12日の朝、車で隣県への旅行に出かけた。
無計画なその旅行自体は楽しく、
自然がいっぱいの山の中の川のそばのバンガローに宿泊することに決め、
夜寝ようと部屋で休んでいる時に、父からラインで母が意識がはっきりせず集中治療室に入ったと連絡がある。
直ぐに電話で折り返し、父と話したのだが、その時の医療知識がない父は楽観的で、
治療してもらってるから、大丈夫。また良くなると言っていて、帰ろうかという私に心配ないと言っていた。
父は本当に良くなると信じていた。疑いはなかったのだ。
私もそれを信じて、引っかかるものがありながらも、そこまでの心配をしてなかったのだ。
そして本当は10月12日~14日の2泊くらいで旅行をしようと思っていたのに、
旦那も娘も、もう充分だから明日帰ろうと言う。
私は出掛けるのが好きだから、本当なら2泊したいと思って出掛けていたのに、
私も何故か「もういいや」と思い、計画より早く明日帰ることを決めた。
その夜はあまり眠れず、何度も目が覚めた。
朝方だったか、ベッドの上で前回帰国した時に母と撮ったビデオや写真を眺めて、母を想っていた。
10月13日の朝、ホテルでゆっくり朝食を取っている時、
私は旦那と娘に、母の不思議な夢の話をする。
その夢を見てからずっと心の中にあったけど、その日初めて人に話したのだ。
今考えると、それも予兆だったのかもしれない。
ホテルを出発し、家に向けて帰る途中に、行きで行こうとしていて行けなかったビューポイントに1箇所だけ寄る予定で、
車を走らせている時に、父からライン電話が鳴った。
その瞬間に何もかも分かったような気がする。
父の言葉は、
「ありゃあダメじゃったわ。命が尽きてしもうた。」
悲痛な声だった。混乱もしている声だった。
お父さんにとっても突然すぎるぐらい突然だったのだ。
10月13日、日本時間13:44に母は安らかな永遠の眠りについた。
父から電話を受けたのが日本時間13:57だった。
病院から兄に脈拍が落ちていると連絡があり、
病院から1時間半の遠方にいた兄は父に連絡。
出先から父が急いで駆けつけたが、
当日はお祭りで道が渋滞していて、
お母さんの臨終には間に合わなかったらしい。
数分前に息を引き取ったらしい。
それからの私は混乱した。
悲しいというはっきりした感情じゃなく、
何とも言えない重いものが体中にいっぱいついている感じというのか、
とにかく帰国しなければいけないということが、私を焦らせた。
あんなに気が動転したのは、ここに来てから初めてだった。
それからとにかく家へ帰ろうと旦那が車を走らせたが、そこから家までの距離は1時間強。
その時間がいつもの数倍に長く感じた。
車の中で娘もおばあちゃんが亡くなったことに涙を流していた。
私も混乱の中、声を上げて泣いた。
旦那からは遊びに来る日を決めた自分が悪かったと、私にごめんと謝っていて、
私をかわいそうだと肩を抱いてくれたのを覚えている。
それからが戦争だった。
帰る道中に携帯で今日のフライトがあるか確認する。
夜の便がありそうだった。
そして、昨年同じくお母さんが亡くなられて緊急帰国した友人に電話で、
空港でのVISAのリエントリーについて確認し、多分問題ないだろうということが分かり安心する。
10月11日に旦那と1年VISAの更新申請をしたばかりで、
この時ばかりは本当に更新しておいて良かったと思った。
更新しておかなかったら帰国するにも後が大変だった。
家へ到着するとすぐPCを開き、先ずはフライトの予約を試みる。
とにかく焦ってしまい、胸がドキドキして画面を見ていても落ち着いてやることができなかった。
1度予約しようと思って画面を進めている時、残席あと2席。
前の情報を確認しようと画面を戻したら、次の瞬間に値段が跳ね上がり、残席1席になってしまった。
本当に焦った。
いつもに比べたら高額なチケットだけど、買わない訳にはいかなかった。
ちょうど入力途中で兄から電話が入り、
「ちょっと待って、今チケット予約している最中だから、もう1席しかないんだ」と直ぐに電話を切り、
予約手続きを続行して無事予約が完了したと思ったら、
出発便が1本早い時間の便になっていた。
現地時間で20:00台の便を希望していたのに、18:00台の便になってしまったのだ。
これは何でなのか、今でもはっきりしない。
自分が選択を間違えたのか、
後で分かったのは予約しようとしていた便がDELAYしていたので、
乗り継ぎに間に合わないと勝手に早い便に振り替えられたのか、分からない。
その時、既に現地時間で14:00頃だったか。
何も支度ができてない状態でだ。
空港でリエントリーをすることを考えると、15:30頃には空港に到着しないといけなかった。
チケットをプリントし、
リエントリーに必要な書類を集め、
シャワーも浴びず、
旅行から帰ったスーツケースの中の物を出し、
そのスーツケースに、とにかく服や下着などを無造作に詰めた。
カバンの中は本当にグチャグチャだった。
そんな私に旦那や娘もつきっきりでサポートしてくれた。
多分1時間で支度をしたと思う。
そして急いで旦那と娘に送られて空港へ。
ちょうどチェックインが始まった時間に到着でき、
座席を指定しようと思ったら、フライトは満席だと言われた。
やっぱり本当に最後の1席だったのだ。
家族に送ってもらってイミグレへ入り、
係員に母が亡くなった緊急帰国の為にリエントリーを申請すると言うと、
お悔やみを何度も言ってくれた。
それと、日本に台風19号(ハギビス)が来ていた時期で、
こちらでも日本は災害が多いので大丈夫かと心配される報道がされていたので、
「日本での台風被害はどうですか?」と質問があった。
私の母が亡くなったこと、日本の災害のことを想ってくれるやさしい係員に救われた。
それから空港の向こうの海に落ちる夕陽を眺めながら、
搭乗をぼーっと待った。
お母さんが生きていた日の最後の夕陽だと思った。
行く前に娘が「ママなら大丈夫」と書いたメッセージを付けたお菓子を渡してくれた。
それを見ると元気が出た。
ボーっとする、時々涙が溢れてくる、色々なことを思い出すの繰り返しで搭乗を待った。