「逃げるんだ、逃げるんだ」と言って、堕落した自分を、交際相手の女性のせいにする、

典型的な男性像が、アントン・チェーホフの「決闘」という小説の主人公です。

結論としては、借金がかさんだ家計が原因であるという、ごく単純な理由に、本人が気づかずに、仕事もろくにせずに、怠惰な生活を送っているうちに、それが、泥沼化していく姿が描かれているというオチになっております。

まあ、カトリック教会の、七つの大罪でも、「怠惰」は、非常に重い罪だとされている理由が、この小説を読むと、非常に、よくわかるような内容になっております。

まあ、わかりやすく、端的に言うと、いわゆる、「地に足がついていない」状態のことでございます。

前職の時代の、そういう状況からは、私も、完全に脱皮したということで、まあ、ここいらで、あの時代の、自分の精神構造が、どうなっていたのかというのを、総括する段階に来たということになると思いますが、まあ、自分でもよくわかっていなかったので、教会のせいにしたり、交際相手の女性のせいにしたりしておりましたが、結論としては、そういう、経済的に「地に足がついていない」状態というのが、すなわち、「怠惰」ということであり、まあ、シャカリキに、キーボードのキーを叩きまくってはいたものの、あまり、内容のある仕事ではなかった、まあ、実態のない、架空の、損益対照表を作る、詐欺まがいの仕事は、確かに、顧客の節税にはなるものの、節税なんだか、脱税なんだか、知れたもんじゃないということで、実質的には、先生のコンサルタント業のおまけみたいなことをしているだけでしたので、まあ、そういう状態と言うのは、お世辞にも、決して、「地に足がついている」状態ではなかったという部分に、私の堕落の本質が要約できると思われます。

まあ、性的なスキャンダルというのは、そういうものの延長線上にあるような形で、七つの大罪においても、それほど、本質的な罪とはみなされていないのには、それなりの理由があるといったところでございます。

「決闘」においては、そういう主人公の堕落に巻き込まれて、交際相手の女性が浮気をするシーンなどが出てきますが、まあ、そういうことの、本質は、全て、主人公の「怠惰」から派生したことで、原因は「怠惰」ほうにあり、「淫蕩」は結果にすぎないということが、この小説、全体を通して眺めてみると、極めて歴然としているような内容になっております。

まあ、そういう意味で、私も、そういう、先生のコンサルのおまけのようなものからは卒業して、はるかに、実質のある職業に就いたということで、ある程度、「地に足がついてきた」ということで、まあ、姫との関係は、そんな、れっきとした男女交際ではないので、どこまで関係があるか、よくわかりませんが、まあ、麻雀バーのお仕事というのも、お世辞も、「地に足のついている」お仕事だとは言えませんので、「麻雀バーをお休みします」宣言をしたことも、もしかしたら、何かしらの接点はあるやもわからんと言った感じでございます。

まあ、姫の強みは、実家に住んでいるので、多少の、収入減は、その辺でカバーできるところで、私が、家賃等の固定費を障害年金でまかなっているのと、多少、似たようなところがあります。

しかし、私が、前職に就いていた頃は、れっきとした、堅気の仕事だと自負しておりましたので、そういう自覚は、全くありませんでしたが、まあ、転職して、2ヶ月が経ち、ボチボチ、仕事のほうも板についてきた頃合いですので、まあ、当時の自分を、ようやく、満を持して、総括する時期が来たというようなタイミングで、検察庁から電話がかかってきたような形でございました。

まあ、先生は、コンサルとしては一流ですので、第二の先生を目指す職場としては、非常に、理想的な職場ではありましたが、全く、そういう野心のない人たちにとっては、まあ、正直言って、一文の値打もない仕事でございました。

なので、姫との交際が始まったあたりから、急に、そいうことが浮き彫りになってきたような形で、そういうことは、先生自身が、一番、よく理解していることですので、おそらく、とっとと転職してくれよ的な、気持ちになっていたものと思われます。

私自身、コピー機から、「いらない、いらない」という幻聴が聞こえてきたりしておりましたので、その時点で、いい加減、もう、限界だということを悟ってもいい頃でしたが、いかんせん、将来が、真っ暗闇の状態で辞めるわけにもいかないということで、往生際の悪い態度を貫いていたような形でございました。

そういう意味では、研修での、警備部長と営業部長の、二大巨頭の、お2人の、将来を見通す眼力の賜物で、実現した転職で、今回は、ございましたが、ボチボチ、それが実を結んだ頃に、まあ、当時の、惨めな自分の姿を振り返ってみれば、ああいう事件になったのも、私が往生際の悪い、職場への居座りを決め込んでいたことが原因でしたが、まあ、原因が、職業に由来する問題を、私の人格の問題に責任転嫁したこと自体が、間違いであることだけは、歴然としておりますので、事件の被害者側が、そういう態度を取ったことに非があることだけは、否定のしようがない事実であることには、変わりはないです。

それだけは、否定のしようがない、100%、相手側の思い違いですので、そういうことを、刑事課の班長にも、ちゃんと理解していただいたので、ああいう、100%、私に同情的な調書を書くような展開なったのは、れっきとした理由があるということでございます。

ただ、まあ、私自身が、その時点では、そういう事件の概要というものを、ちゃんと理解していない、単なる感情論になっていたことは事実ですので、検察庁の取り調べの際には、もうちょっと、客観的な観点から、説明できるようになるはずですが、本質的に、相手側に非があること自体は、全く、変わりはないということでございます。