昨晩は、11時20分に寝て、3時半ごろ起きた時、腹痛がしたので、

痛み止めを飲んで、効くまでの間、電気をつけとこうと思ったら、

電気をつけたまま、寝ており、その後も、途中、目が覚めたりしましたが、

平日の起床時刻を知らせるアラームが鳴るまで、8時間、きっちり寝ました。

人間の体は、一度、非常事態を感じて、省エネ・モードに入ると、

なかなか、元に戻らない仕組みになっているのかわかりませんが、

それでも、午前中は、思うように体が動きませんでした。

しかし、午後3時くらいになって、ようやく、省エネ・モードが解除されて、

普通に体が動くようになりました。

たぶん、明日の朝は、元通りの体に戻っていると思います。

コインランドリーで洗濯したり、たまったペットボトルを処分したりしないといけないのですが、

まあ、たぶん、問題ないだろうと思われます。

後遺症で、のどがやられて、風邪をひいたときみたいな変なせきが出たり、

声がおかしくなったりしております。

姫の団体の、最高峰のタイトル戦の予選が、昨日、ありましたが、

好成績だったそうで、何よりでございました。

私といたしましても、金曜日に、命からがら、応援にかけつけた甲斐がございました。

まあ、今回は、いい意味でも、悪い意味でも、今まで、経験したことのないような経験をいたしまして、

「今、自分が完徹をすると、どういうことになるのか」ということを、身を持って実験したような次第でありまして、結論としては、

「二度と経験したくない」の一言に尽きると言ったところでございました。

まあ、引いては、当局側、特に、教会ともめるのは、非常によろしくないということの一点に尽きるところでございます。

反省点といたしましては、教会の組織力のなせるわざとも言える、自分の過去の改宗劇を、過小評価するような発言というのは、まあ、控えめな態度を取ったとは言え、教会自体を過小評価することにもなりかねないので、その辺は、やはり、「神の御業(みわざ)は偉大なり」と言っておかねばならない場面だったというようなところでございました。

まあ、第三者的読者を想定して、そういう控えめな態度を取ったわけですが、教会側としては、そんなのは聞き捨てならんということらしいです。

なので、今回の、そういう経緯に関しましては、逆に言うと、第三者的読者には全く、関係がない話でございますので、皆さん、「何で、そんな、完徹をするような羽目になったのか」という疑問は、当然、あると思いますが、あくまでも、内輪もめの出来事でございますので、まあ、知らないふりをしたことを後悔しなければならないなどと、過度に気をもむ必要は、全く、ございませんと言ったところでございます。

それは、教会と私の間の問題ですので、当然、姫にも関係のない話でございます。

他の、第三者的、人たちから、「くさい」と言われようと、何と言われようと、あくまでも、「神の御業は偉大なり」でございまして、その恩恵を、教会を通して受けたという事実は、決して、否定してはならない事実なのであります。

「完徹したくないから、言わされてるだけなんじゃないか」という意見もあるかも知れませんが、まあ、確かに、完徹はしたくないですが、そこまで踏み切った教会側にも、それなりに筋の通ったところがあるわけで、別に、必ずしも言わされているわけではございませんと言ったところでございました。