昨日のジョージ・マイケルfeat.エルトン・ジョン・バージョンの、

「Don't Let The Sun ~」を最初に聴いたのは、

2年前くらいに、エルトン・ジョンのベスト・アルバムを、

ソニーのウォークマン向けアプリで、ダウンロードした時ですが、

その時は、思わず、私の中の女ごころをわしずかみにされたものですが、

昨日、あらためて、聴いてみると、その辺の焦点が、イマイチ、合わなかったので、

あれは、いったい、何だったんだろうか、そんなはずじゃなかったのに、おかしいなと言うのが、正直なところでした。

あの、1.8億回の再生数は、そういう意味では、伊達ではないはずなのですが、

私自身が、わけがわからなくなっておりました。

まあ、状況が変わると、私のリスナーとしての視点も変わってくるのかなあという感じです。

実際、シェアしてみると、「これは、ガチでタイムリーだ」という場合もあれば、

「あれ、こんな曲だったっけ、おかしいな、そんなはずじゃないのにな」という場合も多々あり、

完全に後者のケースでした。

別に、変態呼ばわりされるのは、一向にかまわないのですが、

それよりも、もっと問題なのは、シェアしたこと自体が、不完全燃焼に終わることです。

そういう意味で、昨日は、非常に残念な結果になってしまい、

夜もよく眠れませんでした。

まあ、平ったく言うと、非常にセクシーなシンガーなのですが、

そういうのは、別に、男の立場で共感したからと言って、別にどうってことはないじゃないかという話であり、そういうことが問題なのではなくて、

私の言わんとしていることの真意が伝わらないことが問題なのであります。

本人が理解していないことを、他人に伝えようとすること自体に無理があるという意味において、失敗だったという話であります。

ツッコむんであれば、その辺をツッコんでくれという話で、

こう言う場合に、変態うんぬんを語ること自体、焦点がずれてるよと言いたいところです。

そんな、つまらない、どうでもいい、通り一遍のところを拾って、ああだ、こうだと大騒ぎすること自体が、非常に、最大公約数的な価値観で、私としては、そんなことを語って、何が面白いのか、さっぱり、わからんと言ったところであります。

まあ、それで、人生、満足だという人は、勝手にすればいいですが、私は、そんな人生を送るのはまっぴら、ごめんだと言いたいところです。

まあ、ただ、最大公約数的な人生はごめんだから、私は、トランスセクシャルな人生を送るぞというのも、非常に極端な例ではあるものの、そういう価値観は、それはそれで、否定することはタブーとされており、今、トランプ元大統領と、バイデン大統領がもめているのは、その辺の話らしいですが、私は、どちらの立場にも関心はないです。

トランスセクシャル星雲の宇宙人が主人公の「ロッキー・ホラー・ショー」というロック・オペラの、伝説の B級ムービーがありますが、そういう文化の流れを作りだした、教祖様は、70年代初期に一世を風靡したグラム・ロック呼ばれる変態ロックの創始者である、T. Rex のマーク・ボランという人ですが、私は、とうの昔に卒業いたしました。

それはそれで、私に言わせれば、通り一遍の価値観の一形態にすぎないわけです。

まあ、そういう価値観を否定して生きていくと言うのは、ある意味、針の穴に糸を通すような芸当ですので、なかなか一筋縄ではいかないところであり、「これだ」という答えは特にないのですが、まあ、私なりに努力はしているつもりですが、失敗したからと言って、上げ足をとるのはやめてくれという話でありました。

今日は、ためしに、ライブ・エイドという伝説のチャリティ・コンサートの、2人の名演を取り上げてみたいと思います。私は、当初、これを聴いた時に、「Don't Let The Sun ~」の完璧な名演だと思っておりましたのが、まあ、それはそれで、あまり、当てにならない話ですので、人生、常に、トライ&エラーの繰り返しであります。