「Iron Maiden」という、70年代後半にデビューした、ヘヴィーメタルの教祖的バンドがありますが、語源は、昔、イギリスかどこかの貴族か何かが、娘にはかせたと言う、鉄のパンツみたいなもののことで、婚前交渉を防止するようなものだったらしいですが、日本語に訳すと、「鋼鉄の処女」という意味らしいです。まあ、古い時代の話で、日本にも、はるか、昔には、そういう時代もあったことでしょう。デビュー・アルバムの邦題も、「鋼鉄の処女」で、何ゆえに、そんな名前をバンド名にしたのかは、未だに謎です。まあ、個人的なことは、ともかくとして、今日び、たいていの女性は、22~23歳を過ぎていれば、無条件に卒業しているはずですが、中には例外もあり、その典型みたいな人が、かつて、お付き合いしておりました、元ホステスのフィリピン人の方でした。その辺は、もう、当事者側としては、暗黙の了解となっているはずなので、変に隠し立てして、私が内心、差別していると思われるのも、何なので、この辺で、そういうことに対する私の見解をはっきりさせといたほうが、後腐れがないと思います。

出会ったのが、34歳の時なので、今から15年近く前になります。1月ごろに、初めて、勤めているカラオケスナックに入って出会ったわけですが、もう、当初から、「私には責任がある」と宣言しておりましたので、私の過去の全容解明、および、キリスト教への改宗の使命を帯びていたことは、今では、もう、はっきりしていることなのですが、当時は、私自身は、そんなことになるとは、全く、思っておりませんでした。その夏にフィリピンに行き、謎の別荘みたいなところで、3泊4日、滞在しているのですが、その時に、「私は、結婚しない」ということを、しきりに強調しており、他の女の子たちを紹介しては、誰でもいいから、付き合えみたいなことを言っておりました。しかし、出会った当初から、私は、謎の暗示にかけられたような状態になり、そこまで言われても、他の女性と付き合おうという気には、全然、なれませんでした。その年の、10月に、そのスナックの支店みたいなのを開業することになり、半ば、私のためだけに開業したような形で、そこで、私は、かなりの高待遇を受けており、その時期に、半ば、強制的に歌うよう、圧力をかけられて、私の必死のカラオケ黙秘権は、もろくも崩れ去ることになりました。それと同時に、他のお客さんから、大っぴらに、処女であることを暴露されておりました。まあ、そんなのは普通、ウソかホントかわからない話なのですが、その人に関しては、一種、独特の説得力のある話で、それ以来、現在に至るまで、その事実を疑ったことは、一度たりともないです。まあ、男女としての付き合いに限界があるので、カラオケで歌うことを強要されたと考えると、極めて、つじつまの合う話になるわけです。

2人のママと、友人のヒラのホステスとの4人態勢だったのですが、私が、その友人を、あまりにも冷遇したために、その友人がやめてしまい、それを境に、急にやる気をなくしてしまい、私が、カーペンターズの「We've Only Just Begun」をリクエストしたら、露骨に拒否られたので、私が怒って、マイクを取って投げたことがきっかけで、そこでの高待遇な付き合いは幕を閉じることになります。

そこからまた、別の支店みたいなところに舞台が移り、態度が一変して、ケンカ腰の付き合いが始まって、波乱万丈の改宗劇へと発展するわけですが、その辺については、すでに説明してあることなので、割愛いたします。

問題は、その、一種、独特の処女性にあるわけですが、一般的なシスターみたいな、教会のしきたりとしての処女性とは、少なくとも、全然、違うものです。何というか、22~23歳を超えたら卒業していて然るべきものだという常識みたいなものが、完全に欠落しているといったところで、軽蔑とも違う、一種の無関心です。なので、特別、本人が、それを誇りにしているとか言う、シスター的な感覚とは、あまり、関係がないわけです。彼女の友人たちは、ホステスばかりなので、当然、そんなのは、自分一人だけなわけですが、そういうことを、全く、コンプレックスに感じないと言うのは、彼女が血液型が、B型であることとも、多少、関係があると思います。一種の価値観の欠落であって、シスター的な特別な価値観の表れとかとは、全く、無関係だということが、非常に特徴的な点なわけです。なので、私としても、「ああ、そういう人なんだな」という評価があるあだけで、そういうことが、特別、崇高な価値観の表れであるとか、そういう評価をすること自体が、全く、見当違いなことなので、他の皆さんも、当然、そういう評価をする必要は全くないということです。まあ、露骨な言い方をすれば、「セックスも、結婚も、すること自体の意味が全くわからない」と真顔で言い切る、一種、独特のパーソナリティです。「うん、意味がないと言えば、確かに意味がない、それも一理あるね」と聞き流していだければ、それで結構だということです。「言われてみれば、確かにそうだ」と、誰もが思うでしょう。そういう意味では、私たちと彼女の間には、何一つ、特別な見解の相違というものは、ないわけです。なので、その辺を、シスター的な優越感と混同するのは、見当違いだといういうような話でありました。