「春先のうなじ」事件以前の私、つまり、恋愛依存症になる以前の私を知っている読者の比率が、もう、2年以上前のことになるので、だんだん低くなっており、

知っている人が、知らない側の人たちに、「いや、根はそんなヤツじゃないんだよ」と言うことを説明する機会も、どんどん増える傾向にあることと思います。

なおかつ、事件直後の「純愛エロ期」を経て、パートナーが変わるごとに、純愛のほうのエロ度が退化していき、ステージアップする一方で、誤解のほうは、かえって増していく傾向にあるのは、そもそも、私には、純愛に耐えうるだけの素養がないことが深く関係していると思われます。

というような理屈なのですが、知っている人と知らない人の間の温度差を縮めるのは、理屈でいうほど、簡単ではないでしょう。まあ、我ながら、落差が激しすぎるためであります。

その辺の落差については、「自由人」というタイトルで説明していたと思いますが、

「自由人」だったころの私は、今ほど、無節操な人間ではなかったのですが、

純愛のほうがステージアップしていくにつれて、だんだん、無節操になっていくと言うのは、

一般的な見解としては、逆の現象のような気がするはずなので、

その辺が、説明する側としては、非常に苦労する点だと思いますし、

今、こうして説明している私自身が、どう説明したらいいのか、わからない部分でもあります。

しかし、「エロ期」を知っている読者の方は、エロ度が退化していることを、よく、ご存知だと思いますので、ステージアップしていることは間違いないです。

昨日、麻雀のタイトル戦の告知をツイッターでちらっと見たのですが、

対局者全員が、プロフィール写真で、腕組みをしている様は、

プロレスラーさながらで、そういう姿が全く絵にならないキャラの私としては、

そういう面も、非常に葛藤を感じる部分であります。

しかし、ご本人も、決して、そういうキャラではないので、そういう意味では、

そこまでコンプレックスを感じる必要はないかもわからないです。

しかし、昔、通っていた麻雀荘の、ゲストの色紙では、

少なくとも、男性のプロは、例外なく、写真で腕組みをしていたのを、今でも覚えております。

なおかつ、全員、スーツでびしっと決めておりました。

私は、スーツでネクタイが絵にならないキャラでもあるので、

その点、非常に、そういう世界に巻き込まれていることの違和感は、やはり、感じるところであります。

あの四暗刻の記念写真にしても、「もやし君が役満を上がったよー」みたいな写真になっております。

まあ、そういうギャグとしては、大いに役に立つことでしょうが、逆に言うと、単なるギャグでしかないです。

そういう意味では、メガネを外した意味は、一体、何だったんだろうといったところなのですが、まあ、「もやし君」にもほどがあるということなのかもしれません。

そんな今日この頃でした。