72年から、84年にかけて、計4枚のソロ・アルバムを発表して、

あっさり引退した、ジェフ・ベックに劣らぬ気まぐれ男、JD・サウザーさん。

彼の名前だけは、中学生の頃から、すでに、代名詞的な名曲、「You're Only Lonely」を聴いて知っておりましたが、彼の魅力に気づくまでには、相当の時間を要しました。

10数年前に、「You're Only Lonely」アルバムをツタヤで借りて、聴いても、タイトル・トラックの同名曲以外は、箸にも棒にも掛からぬありさまで、まさに、「豚に真珠」とはこのことでありました。しかし、どんなはずみでそうなったのか、全く思い出せないのですが、数年前に、YouTube を見ているうちに、気づくと、心の底から惚れこんでいる私がおりました。

他でもない自分自身が、そんなありさまでしたので、こうして、しょっちゅう、引き合いに出すことも、第三者的にはどうなのかという疑問はあります。ここまで引き合いに出すからには、何かしら深い理由があるんだろうとは思いつつも、それが何なのかどうしても理解できない人たちも少なからずいることでしょう。

フェイスブックのファン・グループも、あるにはありますが、ほぼ、存在しないも同然の状態で、2024年時点での、一般的な評価がいかに低いかということを如実に物語っております。

そんなわけですので、こういう投稿をしても、さっぱり意味がわからん、引いては自己満足だけの投稿ばっかりしている、アスペ君だという、一般的な見解に同意したほうが、話は早いですし、無駄な抵抗をするのも、私自身、はっきり言って、めんどくさいだけなので、別に、それを、どう表現しようが、皆さんの自由ですよといったところです。

私のゴッドマザーが何を考えているのかわからない人で、フィリピンの地元では、子どもの頃のあだ名が、「ガガイ」だったと、かなり年上のいとこのチーママから教えられたこともありますし、前教皇ベネディクト16世が、大衆的な評価を全く得られずに、「力不足」を理由に生前退位したこととかと、私がアスペ呼ばわりされる理由というのは、底辺でつながっている事実で、自分の理解できないことには、何かしらの理由をつけて、手っ取り早く、理解したことにしておいておきたいという心理がはたらくのが、まあ、一般大衆というものであるわけです。

とは言うものの、「You're Only Lonely」アルバムは、アダルト・オリエンテッド・ロック、通称AOR史上においては、一応、燦然と輝く歴史的名盤ということになっております。

まあ、いわゆる、それだけで、一生、食っていけるだけの仕事をしたような形であります。

その反動で、次作の、4thアルバムにして、現役引退のきっかけとなった、「Home By Dawn」アルバムは、非常に、脱力感あふれるアルバムに仕上がっており、プロデュースも、2ndアルバムで起用した、名プロデューサーのピーター・アッシャーにゆだねており、「You're Only Lonely」アルバムは、最初で最後のセルフ・プロデュース・アルバムとなりました。

そんな、「Home By Dawn」アルバムに収録されている、「Bad News Travels Fast」という曲でありますが、そんな脱力感あふれる楽曲群の中においては、ここだけ、ひと際、絶唱しており、79年に、「You're Onle Lonely」アルバムで栄華を極めてから、5年が経過した後の、彼のあきらめにも似た、一般大衆に対する見解みたいなものが、よく現われている楽曲となっております。

ファンである私としては、そんな当時の彼に対しては、後ろから、ポンポンと肩でもたたいて、「よくわかりますよ、その気持ち」とでも言ってあげたくなる、そんな心情の暴露とも言える楽曲であります。

世の中、誤解だらけで、この曲の歌詞にある通り、「Bad news trevels fast, good news never lasts」つまり、「悪い噂はたちまち広がるが、いい噂は、またたく間に消えてしまう」わけですよ。自分に都合が悪くなると、たちまち、アスペ、アスペ、と言って、レッテルをつけて、いい時代もあったことはすっかり忘れて、差別の対象にして、終わりにしてしまおうという、そんな人たちに対する心の叫びですよ。まあ、そんな、一種、ネガティブな曲ではあるので、私自身、正直、それほど、名曲だとは思っていない自分も確かにいるので、ここは、やはり、方向転換して、「それはそれとして、どうでもいいから、かまってちょ」と歌っている、同アルバムに収録されている、「Go Ahead and Rain」という曲に、再び、焦点を当ててみます。まあ、一見、ラブ・ソングではありますが、この曲に込められているのは、「Bad News Travels Fast」と表裏一体の、一般大衆に対する、メッセージ・ソング的な解釈も、そういう意味ではできるわけです。「This old world keep spinnin' arond withoud a lucky guy like me, but, please, won't you love me anyway」という部分が、彼の特徴を最もよく表している部分であります。「この昔ながらの世界は、俺と言う幸運な男を差し置いて、勝手に回り続けているよ、でも、君、頼むよ、そんなことは忘れて、俺を愛してみないか」という、何だか、よくわからない理屈です。この辺が、神秘家特有の自意識で、そういう逆境にもかかわらず、無条件に自分は幸運であると言い切っている部分が、非常に、何というか、まあ、ある意味、アスペルガーの人とも似通った、傲慢とも言える、まあ、そうでない人々からしてみると、非常に、小憎らしいところでもあるわけです。「それでなくとも幸運なんだが、でも、君、愛してみないか」というのは、幸運ではあるが、決して幸福ではないというような意味合いで、聖書の「幸いである」は、たまに、「幸福である」と誤訳されることがあるのですが、必ずしも幸福なわけではないことを示唆しているわけです。その辺の違いをよくそしゃくしていいただくと、その、一見、身勝手とも言える主張の真意も、よくよく考えると理解できなくもないはずだというのが、私の個人的な意見です。そういう意味では、聖書のフレーズとしては、最もポピュラーでありながら、最も謎に満ちた部分でもあるわけですが、この「Go Ahead and Rain」の歌詞が、ある意味、その謎を解くヒントでもあるわけです。